書記長に就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:22 UTC 版)
「コンスタンティン・チェルネンコ」の記事における「書記長に就任」の解説
1984年2月9日にアンドロポフが死去すると葬儀委員長に就任。2月13日の党中央委員会臨時総会において書記長に選出され、急激な変化を嫌う既成勢力を背景とするチェルネンコが後継者となった。同年4月からは、国家元首である最高会議幹部会議長を兼務することになった。 しかし、就任当初から健康状態がすぐれず、赤の広場で執り行われたアンドロポフの国葬の中では、レーニン廟上の講壇で追悼演説を行う際に階段の登り降りをすることもままならず、新設されたエスカレーターを介し、2人の護衛の助けを借りて登降した。また、国歌演奏の下でアンドロポフの遺体が埋葬される際にも、他の政治局員が居並んで敬礼する中、チェルネンコは満足に敬礼することもできず、途中で手を下ろしてしまう場面が見受けられた。同葬儀に参列したイギリスの社民党党首で医師でもあったデイヴィッド・オーウェンは、「チェルネンコ氏は肺気腫を患っていると思われる」との見解を示した。皮肉にも1年後のチェルネンコの死によって、オーウェンの「診断」の正しさが証明される格好になった。
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