創価学会から公明党へ
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1935年(昭和10年)1月25日、神奈川県川崎市(横浜市出身とも)に生まれる。1957年3月、早稲田大学第二商学部を卒業。創価学会参謀室長を務める。 1976年(昭和51年)12月5日、第34回衆議院議員総選挙において旧公明党公認で旧神奈川2区から立候補し、初当選(以後、連続9回当選)。公明党機関紙局長、公明党副書記長に就任する。 1986年(昭和61年)12月、公明党臨時党大会で、公明党国会対策委員長に就任する。1988年(昭和63年)、国会で折衝を重ねた竹下内閣官房副長官の小沢一郎と意気投合し、後々まで盟友関係を結んでいく。 1989年(平成元年)5月、公明党委員長の矢野絢也が明電工事件に関係したことにより、公明党執行部は総退陣する。それに伴い、公明党書記長に就任。
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