キリスト教の保護者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:55 UTC 版)
「テオドシウス1世」の記事における「キリスト教の保護者」の解説
390年、コンスタンティノポリスの競馬場(大戦車場)に、戦勝祈念としてアエギュプトゥスのカルナック神殿からヘーリオスのオベリスクを運んだ。このオベリスクの台座の白い大理石面に刻まれた皇帝一家の浅彫りは、旧来のローマ・ギリシア的自然主義美術ではなく、キリスト教的抽象的美術に基づいて刻まれている。皇帝一家と貴族や民衆の間に歴然とした壁が存在していたことを、この彫刻からは読み取ることができる。彼らの顔は順序や秩序で構成されている。これは、芸術の分野でもキリスト教の侵出が目立ち始めていたことを如実に物語っている。
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