キリスト教の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:48 UTC 版)
「イングランド国教会」の記事における「キリスト教の到来」の解説
グレートブリテン島にキリスト教が初めて到来したのは、ローマ帝国時代の紀元200年頃のことであると考えられている。イングランド(ブリタンニア)はローマ帝国に征服されたため、禁教時代でも、軍人、貿易商人のなかに信者がいた。イングランド南部にセント・オールバンズという市があるが、ここで3世紀初めに聖オルバン(英語版)が殉教したという伝説も生まれている。キリスト教はウェールズ、スコットランド、アイルランドへも別々に宣教されて、ローマ人の撤退後も残った。 しかし、キリスト教の歴史の中では正式なイングランドの宣教は、カンタベリーのアウグスティヌスによるものを最初であると見なしている。アウグスティヌスは教皇グレゴリウス1世の命により、ケントのエゼルベルト王の元へと派遣された宣教師であった。597年、アウグスティヌスは初代カンタベリー大司教に着座する。これが聖公会の起源の一つとされる。664年に行われたウィットビー教会会議ではノーサンブリアのオスウィの指導により、それまで用いられてきたケルト的典礼を廃し、ローマ式典礼を取り入れることを決定したことが大きな意義を持っている。 他のヨーロッパ諸国と同様に、イギリスでも中世後期以降、王権と教皇権の争いが顕著となった。論点となったのは教会の保有する資産の問題、聖職者に対する裁判権、聖職叙任権などであった。特にヘンリー2世とジョン王の時代に王と教皇が激しく争った。
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