歴史上のウェンセスラス王
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「ウェンセスラスはよい王様」の記事における「歴史上のウェンセスラス王」の解説
このうたのウェンセスラス王は、歴史的に実在したボヘミア公聖ヴァーツラフ1世がモデルとなっている。ヴァーツラフ1世は907年に生まれ、935年9月28日に暗殺された(929年死亡説もある)。ボヘミア公ヴラチスラフ1世の息子で、当時キリスト教の教線がボヘミア地方にも達し、父はキリスト教の信仰のなかに育ち、ヴァーツラフ1世もまたキリスト教を捧持した。 しかし、ボヘミアでは伝統宗教がなお勢力を持ち、貴族たちはキリスト教の到来によって自分たちの権威の失墜と支配権の喪失を恐れていた。ヴァーツラフ1世は父の教えに、続いて敬虔なキリスト教徒の祖母リュドミラ(聖ルドミラ)の薫陶を受け、キリスト教徒の公として、18歳の時にボヘミア公に就く。彼はキリスト教を広くボヘミアに広め、後に聖ヴィート大聖堂へと発展する教会を始め、多数の教会を建立する。また神聖ローマ帝国に臣従してその力を借りて布教を行った。 ヴァーツラフ1世の転向は、ボヘミアの貴族たちに深刻な危機意識を齎し、神聖ローマ帝国に屈した裏切り者で異端者のヴァーツラフ1世を排除するため、貴族たちは連合し、公の弟ボレスラフもこれに加わった。935年9月の「聖コスマスと聖ダミアヌス」の祝祭に、ボレスラフは兄を誘って、祝いの為、教会へとやって来た兄を暗殺する。ボレスラフはヴァーツラフ1世の後を襲ってボヘミア公となる。 ヴァーツラフ1世はその死後、数々の奇蹟が起こったことと殉教の故に列聖され聖人となる。彼は、チェコ(ボヘミア)の守護聖人として人々の崇敬を受けている。
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