歴史上のシモン・ボッカネグラ
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「シモン・ボッカネグラ」の記事における「歴史上のシモン・ボッカネグラ」の解説
表題役となったシモン・ボッカネグラは実在の人物(? - 1363年)である。14世紀のジェノヴァ(当時はジェノヴァ共和国)では、4つの有力貴族が教皇派と皇帝派に分かれて争っていた。フィエスキ家、グリマルディ家のグェルフ党(教皇派)とスピノーラ家、ドーリア家のギベリン党(皇帝派)である。この対立に、商人や平民による平民派との対立が加わった。こうした中で、シモンは1339年に初代ジェノヴァ総督に就任した。1344年に貴族派の陰謀によりいったん失脚するが、1356年に総督に復帰する。1363年、宴会の席で倒れて没した。ワインに毒を盛られたのが死因であるという。 また、『シモン・ボッカネグラ』は、リヒャルト・ワーグナーの歌劇『リエンツィ』の物語と同時代であり、『リエンツィ』の主人公ニコラ・ディ・リエンツォがローマで殺されたのは1354年である。本作の第1幕フィナーレでのシモンの演説には、この史実を受けて「リエンツィと同じ栄光と死の予言の声が、いまやジェノヴァ一帯にも響き渡っている。ここにペトラルカの手紙がある。」という一節がある。
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