歴史上のセボルガ公国(セボルガ公爵領)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 19:16 UTC 版)
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中世、現在のセボルガ一帯はヴェンティミーリア伯の領地であった(ヴェンティミーリアはボルディゲーラの約4km西に位置する)。954年、レリノ(レランス島、現フランス領)にベネディクト会のレリノ修道院(Lérins Abbey)が設立されると、ヴェンティミーリア伯は、セボルガ一帯をレリノ修道院に寄進した。これにより、セボルガ一帯は独自の領域となった。1079年、セボルガの領主であるレリノ修道院長(it:Abbazia di Lerino)は、神聖ローマ帝国から公爵 (Principe-abate) に叙せられた。これにより、セボルガは公爵の身分を持つ修道院長領となる(イタリア語版Wikipediaの Principato abbaziale di Seborga は、修道院長領についての記事である)。 11世紀末から12世紀初頭にかけ、ベネディクト会の改革運動の中からシトー会が結成された。1118年、シトー会の指導者であったクレルヴォーのベルナルドゥス(テンプル騎士団の創設にも関わった人物として知られる)の活動によって、セボルガはシトー会の所有となった。以後約600年にわたって、セボルガはシトー会が治めるところとなった。 1729年1月20日、セボルガはサルデーニャ王であるサヴォア家のヴィットーリオ・アメデーオ2世によって購入された。1748年のアーヘンの和約で、セボルガはジェノヴァ共和国に譲渡されたが、ナポレオン戦争後の1814年のウィーン会議によってジェノヴァ共和国はサルデーニャ王国に併合された。1861年、サルデーニャ王国を母体としてイタリア王国が建国される。
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