歴史上のドイツ国章とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 歴史上のドイツ国章の意味・解説 

歴史上のドイツ国章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 14:13 UTC 版)

ドイツの国章」の記事における「歴史上のドイツ国章」の解説

大型鳥類として食物連鎖頂点立っていることから、ヨーロッパで古来より、勇猛果敢さと力、無敵象徴とされ、多く権力者に好まれてきた。その意匠は、すでに8世紀半ばカール大帝の頃から用いられ13世紀初頭には「金地に黒」の紋章神聖ローマ帝国皇帝紋章とされるようになった1433年、「双頭の鷲」の紋章神聖ローマ帝国紋章定められた。15世紀半ばには、歴代皇帝紋章用いられるようになったその後双頭の鷲紋章は、オーストリア王家であるハプスブルク家紋章引き継がれた。 1848年フランクフルト国民議会は、皇帝シンボル(剣、宝珠、笏、王冠)を除いた双頭の鷲」を引き続き新し国章として用いることを決議した1867年プロイセン王国の下に北ドイツ連邦成立した際には、新し紋章採用されたが、そこにも用いられている。そして、1871年ドイツ統一成ってドイツ国ドイツ帝国となった際には、プロイセン王国紋章国章とされた。プロイセン王国国旗中央には、国章である四つ皇帝シンボル付けた描かれている。 モチーフは、この後1918年ヴァイマル共和政ワイマール共和国となった際にも、また、1933年ナチス・ドイツとなった際にも国章維持された。ワイマール共和国国章は、4つ皇帝シンボル外したワイマール)である。また、1935年ワイマール替わって採用され国章は、ナチスシンボルである鉤十字の上あしらったのである1950年ドイツ連邦共和国成立に当たり、ワイマールモデルとしつつもデザイン簡略化した新し国章定め、このときから「連邦」(Bundesadler)と呼ばれるようになった他方同年成立したドイツ民主共和国東ドイツ)でも新し国章定めたが、用いられず、当初労働者象徴するハンマーモチーフにした簡素な国章とした。後の1953年になって知識人意味するディバイダ加えた上で農民象徴する麦で囲むという他の社会主義国の「鎌と槌」に近いモチーフ使われるようになり、さらに1955年には地色を赤に変えてソビエト連邦の国章似たデザインとなった1990年ドイツ再統一によってその役割終えた神聖ローマ皇帝紋章(これはハプスブルク家のもの プロイセン王国紋章 プロイセン王国国旗 ドイツ連邦国章 北ドイツ連邦国章 ドイツ帝国時代大紋章 ドイツ帝国時代小紋章 ヴァイマル共和政時代国章 ナチス・ドイツの国章 1950年から1953年までのドイツ民主共和国東ドイツ)の国章 1953年から1955年までの東ドイツの国章 1955年から1990年までの東ドイツの国章 1997年から連邦政府各省庁ロゴとして使用されているワシマーク 連邦政府行政府)のロゴ

※この「歴史上のドイツ国章」の解説は、「ドイツの国章」の解説の一部です。
「歴史上のドイツ国章」を含む「ドイツの国章」の記事については、「ドイツの国章」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「歴史上のドイツ国章」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「歴史上のドイツ国章」の関連用語

歴史上のドイツ国章のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



歴史上のドイツ国章のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのドイツの国章 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS