権力者に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 14:18 UTC 版)
「フセイン・カーミル・ハサン」の記事における「権力者に」の解説
1979年、サッダームが大統領に就任したこの年に、フセイン・カーミルは陸軍大尉に任官した。1982年には、大統領直属の護衛組織である特別保安機関の長官に就任。その翌年、サッダームの長女ラガド・サッダーム・フセインと結婚し、名実共にサッダーム家の一員となった。サッダームの腹心、娘婿となったフセイン・カーミルに対しては、周囲はかつてのような陰口を叩くことはできなくなった。彼は、弟であるサッダーム・カーミルと共に、サッダームの寵愛を受けた。ラガドとの間には5人の子供をもうけている。 1987年までにフセイン・カーミルは、軍事産業を統括する軍事産業委員会委員長、石油大臣、共和国防衛隊、特別共和国防衛隊、特別大統領警護隊の監督者の地位に就いていた。フセイン・カーミルは新兵器の開発に積極的に取り組み、中華人民共和国で大砲の開発を行っていたジェラルド・ブル博士と接触して「バビロン計画」を始めるきっかけもつくった。 1991年3月に発足したサアドゥーン・ハンマーディー内閣では、石油相と新たに国防大臣と工業・軍事工業大臣を兼務した。石油相はすぐに交代し、次のムハンマド・ハムザ・アッ=ズバイディー内閣では、工業・軍事工業相のみ留任した。 1993年のアフマド・フセイン内閣では工業鉱物資源大臣に就任。 サッダーム・フセイン政権下で、フセイン・カーミルは、他のサッダームの親族同様に莫大な富を蓄えた。イラクの経済収益の大半が彼の個人資産へと消えた。国際社会が経済制裁に苦しむイラク国民に向けて送った人道支援物資にも手を付けた。
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