権力獲得まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 14:45 UTC 版)
曹叡(明帝)の東宮(皇太子)時代から寵愛が厚く、曹叡が即位すると散騎常持になり、やがて武衛将軍になるなど、取り分け厚遇されていた。 239年(景初3年)に曹叡が病床に伏すと、曹爽は大将軍の位を賜り、司馬懿と共に猶子で皇太子の曹芳(一説では曹彰の孫)の補佐をすることを命じられた。 曹叡が36歳で崩御し曹芳(斉王)が即位すると、曹爽は侍中の位を与えられ、「剣履上殿」・「入朝不趨」・「謁賛不名」(剣を帯び、靴を履いたまま昇殿し、小走りに走らずともよく、帝に目通りする際は実名を呼ばれない)と言う特権を与えられた。魏は曹丕以来、皇族などの近親者を政治・軍事両面から遠避ける政策を採ってきた。遠縁の曹冏(曹騰の従玄孫)はこれを憂慮し、一族を登用して藩塀(国家を守る壁)としての役目を果たさせるべきと意見した。しかし、曹爽はこの意見を採用することはなかった。
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