「党の再武装」
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ソヴィエトの圧力により、臨時政府は3月27日に「戦争目的についての声明」を発表した。「自由ロシヤの目的は、他民族を支配することでもなく、彼らからその民族的な財産を奪取することでもなく、外国領土の暴力的奪取でもない。それは、諸民族の自決を基礎とした確固たる平和をうちたてることである」としつつ、「わが連合国にたいしてあたえた誓約は完全に遵守される」とし、敵国領土の併合を含む秘密協定を暗に認めた。外務大臣ミリュコフはこの声明を4月18日に連合国に通知し、その際に「遂行された革命が、共通の同盟した闘争におけるロシヤの役割の弱化を招来する、と考える理由はいささかもない。全く逆に……決定的勝利まで世界戦争を遂行しようという全国民的志向は、強まっただけである」という覚書(ミリュコフ覚書)を付けた。平和より戦争の継続を強調したこの覚書は、ソヴィエト側の兵士や労働者の抗議デモを引き起こした(四月闘争)。 そのような状況の中、ボリシェヴィキは4月14日から22日にかけてペトログラード全市協議会、4月24日から29日にかけて全ロシア協議会を開き、四月テーゼに基づいて数本の決議を採択した。 「戦争について」は、「革命的祖国防衛主義」にいっさい譲歩しないこと、戦争を民主主義的な講和で終わらせるためには少なくともいくつかの交戦国で革命的階級が国家権力を握らなければならないことを人民に説明することを決めた。テーゼ第一条に対応する。 「臨時政府にたいする態度について」は、臨時政府を地主とブルジョアジーの支配の機関と特徴づけ、「臨時政府を信頼するような政策とはきっぱりと手をきる必要があることを、全力をあげて人民にかたる」ことを決めた。「労働者・兵士代議員ソヴィエトについて」は、全国家権力のソヴィエトへの移行のため、ソヴィエトの中で多数派を獲得するために活動することを決めた。これらはテーゼ第二条から第四条に対応する。 「農業問題について」は、地主地の没収、農民への土地の引き渡し、土地の国有化を主張した。テーゼ第六条に対応する。 「現在の情勢について」は、ロシアでは「社会主義的変革の即時の実現を目標とすることはできない」としつつ、社会主義をめざす行動として、土地の国有化、銀行の統合と国家的統制、保険機関および資本家の巨大シンジケートにたいする国家的統制などを挙げた。テーゼ第七条から第八条に対応する。 「党綱領の改正について」は、党綱領の改正の基本的な方向性を示した。「ブルジョア議会制共和国ではなく、プロレタリア的・農民的民主共和国(すなわち警察のない、常備軍のない、特権的な官僚のいない国家の型)を要求するという趣旨」の改正も指示された。テーゼ第五条、第九条に対応する。 「インタナショナル内の状況とロシア社会民主労働党(ボ)の任務」は、「祖国防衛主義者」と最終的に訣別し、「中央派」の中間的な政策とも断乎としてたたかう第三インタナショナルを創設するために、イニシアティヴをとることを決めた。テーゼ第十条に対応する。 4月の協議会では戦争についての決議に関して本質的な対立はなかった。3月の党活動家会議で革命的祖国防衛主義を擁護したヴォイチンスキーは既にメンシェヴィキに移っていた。一方、臨時政府にたいする態度についての決議に関しては、カーメネフとレーニンのあいだに若干の意見の相違が残っていた。カーメネフは、ブルジョア民主主義革命は終了した、というレーニンの見解に対し、地主的土地所有が清算されていないこと、および、ソヴィエトはプロレタリアートだけの組織ではなくプロレタリアートと小ブルジョアジーとの連合であることを指摘した。また、ソヴィエトによる権力獲得までの段階においてソヴィエトによる臨時政府に対する統制を語るのは空文句だ、というレーニンの見解に対し、小銃や大砲にたいする権力をすでに握っているソヴィエトにはそれが可能だ、と指摘した。しかし協議会はレーニンの見解に沿って決議を採択した。 トロツキーはボリシェヴィキの政策が四月テーゼの内容に沿って修正された過程を「党の再武装」と呼んだ。
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