権力闘争とボス就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 14:06 UTC 版)
「カルロ・ガンビーノ」の記事における「権力闘争とボス就任」の解説
1951年4月、マンガーノが行方不明になり、副ボスのアルバート・アナスタシアがボスになった。アナスタシアは、五大ファミリーのボスの1人で盟友のフランク・コステロとタッグを組んで独裁的に振る舞うようになり、ファミリー内外で軋轢を起こした。フランク・スカリーチェを副ボスに据えたが、1957年6月17日暗殺され、ガンビーノを副ボスに据えた。副ボス就任は、ガンビーノが性格的におとなしく地位を脅かされる心配がない安全パイと見られたためと言われた。 1957年5月、コステロが銃撃されてボス辞任に追い込まれた。アナスタシアは、コステロの長年のライバル、ヴィト・ジェノヴェーゼのボス就任を阻止すべく五大ファミリーの他のボスに働きかけたが、ジェノヴェーゼはボスの1人でガンビーノとも親しいトーマス・ルッケーゼを味方につけ、アナスタシア包囲網を敷いた。1957年10月25日、アナスタシアはパークシェラトンの理髪店で暗殺され、すぐガンビーノがボスに取って代わった。暗殺はジェノヴェーゼとガンビーノの共謀というのが定説で、暗殺犯の手配に古参のジョー・ビオンドやジョゼフ・リコボノが動いたと信じられている。アナスタシアがマフィアのキューバ利権を侵犯したとの理由でコミッション指令により粛清されたとする粛清説や、スカリーチェ兄弟を殺したことで一家内のシチリア派閥が報復に動いたという復讐説もある。 ガンビーノは、ビオンドを副ボスに、ジョゼフ・リコボノを相談役に据え、弟のポールをカポに昇進させるなど一家の中核をシチリア-パレルモ派閥で固め、アナスタシアのカラブリア派閥を排除した。一家内部はしばらく極度に緊迫した空気に包まれ、ジェノヴェーゼやガンビーノに復讐しようとする動きもあったとされる。 1957年11月14日、全米マフィアのアパラチン会議に参加し、同行したリコボノやカポのアーマンド・ラヴァらと共に警察に拘束された。
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