権力闘争が続く自民党と三木とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 権力闘争が続く自民党と三木の意味・解説 

権力闘争が続く自民党と三木

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)

三木武夫」の記事における「権力闘争が続く自民党と三木」の解説

三木の後を継いだ福田政権は、与野党伯仲の中での厳し政権運営強いられたが、福田田中大平三派に支えられ党内での立場比較安定していた。三木派からは幹部河本敏夫三木内閣通産相)が政調会長続いて通産相務め要職歴任する中で自民党内の実力者となっていった。福田三木政権退陣時に発表した「私の所信」を引き継ぎ1977年昭和52年4月自民党党大会総裁選に全党員による予備選挙導入することが決定された。 比較安定していた福田政権であったが、内部では福田幹事長となった大平との綱引き進行していた。福田衆議院解散総選挙打って出て、与野党伯仲状態を解消した上で総裁再選狙った。しかし大平らの反対もあって結局解散総選挙は叶わず、1978年昭和53年11月総裁選迎えることになった三木総裁選出馬する気持ちがなかったわけではないが、立候補したところで福田大平後塵を拝することは明らかであり、三木派内からも出馬の声は高まらなかった。しかし三木派から誰も総裁選出馬しないとなると他派閥の草刈場なりかねず、三木派からは三木打診河本出馬福田大平中曽根康弘あわせて、4人での対決となったロッキード事件裁判抱えていた田中にとって、福田よりも盟友である大平の方が政権担当者として安心感があった。田中大平への全面支援決断し田中派中核となって全国党員に対して大平への投票働きかけた。三木決選投票時には田中支援する大平ではなく福田支持に回る予定であったと言われている。しかし11月27日予備選挙開票結果大平が1位となり、福田本選への出馬辞退した三木の「所信」から実現した党員による総裁予備選は、結果として党員末端まで派閥系列化が進むという皮肉な結果もたらした大平執行部において、三木派からは河本政調会長になる。これを契機三木から河本への派閥継承が進むかと思われたが、三木は派の実権握り続けた大平1979年昭和54年9月衆議院解散し総選挙打って出た大平財政難克服のため、一般消費税導入訴えた。しかし解散直後日本鉄道建設公団不正経理明るみ出て税金無駄遣い対す国民批判が高まる中でも増税唱える大平姿勢に、世論野党のみならず自民党内からも批判殺到した結局選挙戦最中大平一般消費税引っ込めざるを得なかった。10月7日投票日全国的に荒れ模様天気となり、投票率伸び悩んだ自民党前回ロッキード選挙を更に下回る248議席惨敗喫した一般消費税問題と、低投票率敗因考えられた。 10月8日三木大平選挙敗北責任追及口火を切った前回選挙自身と同様、選挙敗北責任をとって辞任するよう求めたのである福田三木中曽根三派の議員たちが相次いで大平辞任要求し大平辞任をあくまで拒否する大平田中両派との間にいわゆる四十日抗争勃発する大平事態打開図って三木福田中曽根個別会談するどしたが結局両者の間の溝は埋まらず、大平田中両派の主流派大平首相候補とし、反主流三派は、「自民党よくする会」を結成して福田首相候補とするという、同一政党から二名首相候補が出るという異常事態となった11月6日首班指名選挙本会議前に行われた自民党よくする会」の総会の席で、三木は「主流派との戦いは、力と道義との戦いであるとし、道義が数やカネの力に敗れてならない」と主張し総選挙敗北という国民審判受けて辞めようとしない大平と、数、そしてカネの力で大平支え田中痛烈に批判した首班指名選挙結果大平福田抑えて首相に選ばれた。首班指名選挙では分裂した自民党であったが、組閣党役員人事では分裂避けられこれまで通り各派均衡人事が行われ、表面上いったん自民党内の混乱収まった。ただし第2次大平内閣では三木派からの閣僚は、三木派内で主流派寄り動きをした人物選ばれ、更に阿波戦争のしこりがあって三木と関係が悪い後藤田正晴入閣させるなど、三木三木派にとって厳し人事であった三木福田引き続き大平政権継続させて自身政治生命継続さらなる拡大目指す田中に対して反発し続けることになる。 1980年昭和55年4月には、反主流三派が自民党刷新連盟赤城宗徳代表世話人)を結成し大平政権との対決姿勢強めた野党提出内閣不信任案提出への対応を巡って強硬論唱える三木対し福田自重するよう働きかけていた。しかし5月16日不信任案採決当日になって三木衆議院第一議員会館会議室立てこもり、人を呼び集める事態となった福田中曽根、そして自民党刷新連盟幹部集結する中、本会議開会時間迎え桜内義雄幹事長二度に亘り説得試みるものの、三木福田動こうとはしなかった。中曽根不信任案採決寸前本会議場入ったものの、三木福田らは動かなかった。結局69名もの自民党議員採決欠席したため、不信任案可決されてしまった。 内閣不信任受けて大平衆議院解散する5月20日反主流派河本安倍晋太郎を代表世話人として党再生協議会結成し大平執行部との対決姿勢強めた。しかし衆議院解散参議院議員通常選挙時期重なり衆参同日選挙が行われることになり、参院選候補派閥横断した形での支援要していた。そして党再生協議会議員落選恐れるようになるなど、分裂の危機感に直面した自民党内には求心力が働くようになった更には自民党分裂を嫌う財界働きかけもあり、5月22日には執行部と党再生協議会の間に妥協成立しまたしても自民党分裂免れた大平選挙戦最中倒れ入院となり、6月12日死去する大平急死これまでの激し抗争とうって変わって自民党団結もたらし弔い合戦掛け声の中、6月22日衆参同日選挙衆参両院とも自民党圧勝する選挙後大平派幹部総務会長8期務め党内調整役として定評があった鈴木善幸政権の座に就く。 大平政権下での激し党内抗争において、三木福田とともに反主流派先頭に立ち、田中大平らの主流派激しく対立した三木には同一政党から二人首相候補出て与党自民党議員大量欠席によって内閣不信任案可決するという事態を生み出した責任があるとの意見もある。

※この「権力闘争が続く自民党と三木」の解説は、「三木武夫」の解説の一部です。
「権力闘争が続く自民党と三木」を含む「三木武夫」の記事については、「三木武夫」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「権力闘争が続く自民党と三木」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「権力闘争が続く自民党と三木」の関連用語

権力闘争が続く自民党と三木のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



権力闘争が続く自民党と三木のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三木武夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS