権力者の象徴として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/30 04:05 UTC 版)
安土桃山時代には刀身の姿・刃文を写生するに至った。本阿彌光徳による豊臣秀吉愛蔵の名刀を写し描いた「光徳押形」が著名である。これは自身の愛刀の様子を他者へ広く見せるための手段だったと考えられるが、姿、刃文を墨で描き出すため製作は困難であった。 幕末になり、固形墨を利用して刀剣の外郭、中茎を紙へ擦りだし、刃文が描かれる、現在の刀剣押形の原型が完成した。この固形墨は石華墨(せっかぼく)と呼ばれるが、当初は中国から輸入されたと思われる。江戸時代において刀剣押形を作成するのは専ら将軍家であり、朝鮮通信使によって石華墨が伝えられたと考えられる。刃文はお抱え絵師に書かせたものと見られ、描写は細かくないが、ポイントを巧みに捉えている。
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