歴史上の「刺客」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 03:50 UTC 版)
中国古代の歴史家・司馬遷は『史記』において「刺客列伝」を立て、5人の刺客の伝記を収録している。 中国で言う刺客とは、大義や義理により暗殺を行った烈士のことで、職業的暗殺者ではない。中国古代封建制の下で、領土を持たず有力者に寄宿した食客が、主人への恩義を、主人の敵を倒すことで果たそうとしたものとされる。客の字が使われるのは「剣客」「論客」と同旨である。「士は己を知るもののために死す」の豫譲や始皇帝暗殺未遂の荊軻も含まれている。『史記』に登場する人物では、管仲や張良も暗殺を行おうとしたが未遂に終わっている。 日本の歴史では、暗殺を依頼、もしくは命令されたものも刺客と呼ばれる。崇峻天皇を殺害した東漢駒、源義経を暗殺するために源頼朝から派遣された土佐坊昌俊、源実朝を殺害した公暁、織田信長を狙撃した杉谷善住坊などが知られる。幕末期には暗殺事件が頻発し、河上彦斎や岡田以蔵、中村半次郎、田中新兵衛などが著名である。 明治維新以降では大久保利通を殺害した島田一郎ら、原敬を殺害した中岡艮一、濱口雄幸を銃撃した佐郷屋留雄などが知られる。一方で、選挙で特定候補を狙い撃ちするために、立てられた候補を「刺客」と呼んだ例がある。#選挙用語としての「刺客」参照。
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