歴史上における轟沈の実例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 23:53 UTC 版)
日露戦争時、日本海軍の戦艦初瀬は、旅順港沖でロシア海軍の機雷に触れ、1分10秒で轟沈した。ロシア戦艦ペトロパウロウスクも同様に、1分30秒ほどで轟沈した。 イギリス海軍の巡洋戦艦フッドは、ドイツの戦艦ビスマルクの砲撃をうけた直後、搭載弾薬の誘爆をおこして瞬時に沈没した。この場合「爆沈」でもあり、被弾直後に短時間で沈没に至ったため轟沈でもある。 太平洋戦争時のアメリカ海軍の軽巡洋艦ジュノーは日本海軍の潜水艦伊26から左舷に雷撃を受け搭載された魚雷に誘爆、砲塔から上部構造物を吹き飛ばし更に船体が二つに折れ20秒で沈没、僚艦の乗員に破片が降り注ぎ負傷者も出した、こちらの場合も「爆沈」でもあり、被雷直後短時間で沈没に至ったため轟沈でもある。 太平洋戦争時、日本海軍の重巡洋艦摩耶は米軍の潜水艦の雷撃により沈没した。この時は被雷から8分後の沈没であるが、多くの戦記では轟沈扱いになっている。
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