歴史上における爆沈の実例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 23:53 UTC 版)
1905年9月11日 - 日本海軍の戦艦三笠は、佐世保港内で搭載弾薬の爆発事故をおこし、沈没・着底(後に修復)した。 1943年6月8日 - 日本海軍の戦艦陸奥は、柱島泊地に停泊中、弾薬庫が謎の爆発を起こして沈没した。付近に停泊して事態を視認した味方艦艇が「ムツバクチンス 一二一五」と報告の電文を打電している。 1943年11月24日 - アメリカ海軍の護衛空母リスカム・ベイは、ガルヴァニック作戦におけるマキン島沖での哨戒中、潜水艦から発射された魚雷4本のうち1本が船体後部の航空爆弾庫付近に命中して集積されていた爆弾等が誘爆、瞬時にして後ろ半分が跡形もなく吹き飛び、残った前半分も時を経ずして沈没した。 1944年6月19日 - 日本海軍の空母大鳳は、マリアナ沖海戦に参加中、潜水艦からの魚雷攻撃が原因で漏れて気化した航空機燃料が充満、これに引火して爆発炎上、約2時間後に沈没した。 1944年10月25日 - 日本海軍の扶桑は、スリガオ海峡海戦において駆逐艦の発射した魚雷が命中して弾薬庫が爆発、真っ二つに折れて沈没した。同じく山城も被雷によって砲弾が誘爆、艦橋が崩壊するなどの後に沈没しているが、沈没の主たる原因が駆逐艦の発射した魚雷の命中によって生じた破孔からの浸水による転覆のため、これは爆沈ではない。 1944年12月28日 - アメリカ海軍のリバティ船ジョン・バークは、ミンドロ島攻略に向け弾薬を積み航行をしていたがセブ島から出撃した神風特攻隊の1機が前部2番倉庫、3番倉庫間に突入、数秒で積載していた弾薬に誘爆し巨大なキノコ雲を発生させ爆破炎上し沈没した、爆発の余波も凄まじく直後を航行していた別の輸送艦も沈没、衝撃波により飛び散った破片による他船舶への損害も出した。
※この「歴史上における爆沈の実例」の解説は、「撃沈」の解説の一部です。
「歴史上における爆沈の実例」を含む「撃沈」の記事については、「撃沈」の概要を参照ください。
- 歴史上における爆沈の実例のページへのリンク