歴史・レイアウト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 09:22 UTC 版)
「ハイド・パーク (ロンドン)」の記事における「歴史・レイアウト」の解説
公園内で最も古くから残る部分はイーバリー卿の荘園跡である。この荘園の面積は1ハイド (60から120エーカー)であったとされ、これが公園の名称の由来となっている。荘園跡を含めた土地はイングランド国王ヘンリー8世によって1536年にウェストミンスター寺院から買い上げられた。公園のレイアウトは1820年代に建築家デシマス・バートン(英語版)による設計を元に建造された。ケンジントン・ガーデンズが平坦であるのに対して、ハイド・パークは隆起に富んでおり、前者と対照をなしている。 1851年には世界初の万国博覧会であるロンドン万国博覧会の会場となり、ジョセフ・パクストンの設計した水晶宮が公園内に建造された。万博終了後、水晶宮はロンドン南方のペンジ地区シデナムに移転され、その後の火災により焼失している。1982年7月20日にはハイドパークで爆弾テロ事件が発生した。IRA暫定派が引き起こしたこのテロによって馬7頭およびブルース・アンド・ロイヤルズとロイヤル・グリーン・ジャケッツの兵士8名が死亡した。 ロック・コンサートも頻繁に開かれており、ジェスロ・タル (1968), ローリング・ストーンズ (1969),ブラインド・フェイス (1969),ピンク・フロイド (1970), ロイ・ハーパー (1971), クイーン (1976),エリック・クラプトン (1996), レッド・ホット・チリ・ペッパーズ (2004),フー・ファイターズ (2006), ブラー (2009)などが公演を開いている。2005年にはライヴ8の会場ともなった。ビートルズのアルバム『ビートルズ・フォー・セール』は1964年の秋に公園内で撮影されている。
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