北部の平定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 06:02 UTC 版)
「アブド・アッラフマーン3世」の記事における「北部の平定」の解説
南部を完全に平定したカリフは930年に自ら兵を率いてトレドに向かった。トレドの包囲が為され、932年ついにトレドは降伏した。937年には長期間の包囲の末、サラゴサを陥落させた。939年、シマンカスの戦いで味方による情報漏洩が要因となりレオン王国=カスティーリャ伯国連合軍に敗北した彼はいたく自尊心を傷つけられ、以降自ら兵を率いることをやめた。しかし940年にレオン王国はアンダルスの三辺境(サラゴサ・トレド・メリダ)から進軍され、国力の圧倒的な差に屈し和平を申し出ている。治世末期の958年にはレオン王国が後ウマイヤ朝に対して忠誠を誓い軍事的援助を請うなど軍事的優位が確立された。
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