レオン王国との戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 02:39 UTC 版)
「アフォンソ1世 (ポルトガル王)」の記事における「レオン王国との戦争」の解説
1150年から1169年にかけてアフォンソは王国南部に進出し、領土を拡大する。1157年にアルフォンソ7世が没した後、カスティーリャ=レオン王国が2つに分裂すると皇帝の称号は用いられなくなり、アフォンソに課せられていた臣従の義務は消滅した。1158年、ポルトガルはアルカセル・ド・サルを攻略し、アレンテージョ攻略の基地を確保した。こうして1168年までに、アルガルヴェを除いたアレンテージョ全土がポルトガルによって奪還される。 レオン王フェルナンド2世と婚姻関係を結び、1165年にアフォンソの娘ウラカとフェルナンド2世は結婚するが、2年後にポルトガルとレオンは対立する。アフォンソは南半分の帰属が未確定であったガリシアに軍を進めた。 1169年にポルトガル人冒険者「豪胆」ジェラルドがエストレマドゥーラに侵入した時、アフォンソはジェラルドの要請に応じてバダホスに向かった。だが、バダホスはイスラム勢力の援軍として現れたレオン軍に包囲され、アフォンソは城からの脱出の際に片足を城門に挟まれて(あるいは落馬によって)負傷し、フェルナンドに捕らえられた。アフォンソは釈放と引き換えにガリシアにおける全ての権限を放棄し、トゥイとポンテベドラをレオンに割譲した。事故によってアフォンソは従軍が困難になり、軍隊の指揮権は王子サンシュに移った。
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