アストゥリアス王の一覧とは? わかりやすく解説

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アストゥリアス王の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/26 03:22 UTC 版)

アストゥリアスの紋章英語版

アストゥリアス王の一覧(アストゥリアスおうのいちらん)は、アストゥリアス王国歴代の君主(国王)の一覧。

オルドーニョ1世の統治中にアストゥリアス王国はレオン王国として知られるように発展していった。910年に王国は分割され、フルエラ2世がアストゥリアスを受け取った。その後の国王に関しては別項「レオン君主一覧」および英語版の「en:list of Galician monarchs」を参考のこと。

王の一覧

統治期間 綽名 別名 備考
ペラーヨ 718年–737年 Pelayo コバドンガの戦いを通じて王国の土台を築き、カンガス・デ・オニスを首都にする。
ファビラ 737年–739年 Favilac、Fafila
アルフォンソ1世 739年–757年 カトリック王 アルフォンソ1世およびその子孫はアストゥリアス=レオン王家 (es) と形づけられる。
フルエーラ1世 757年–768年 残酷王 Froila
アウレリオ 768年–774年 Aurelio
シロ 774年–783年 アルフォンソ1世の娘で自身の妻であるアドシンダ英語版を介して王位を継承。首都をプラビアスペイン語版に移転。
マウレガート 783年–788年 簒奪王 Mauregato アルフォンソ1世の庶子で王位を簒奪
ベルムード1世 788年–791年 助祭王、修道士王 Veremund、Vermudo 修道士に復帰
アルフォンソ2世 791年–842年 純潔王 オビエドに首都を移転。
ネポシアーノ 842年 Nepociano 王位を簒奪。ラミーロ1世と後継を争い、敗れる。
ラミーロ1世 842年–850年 ネポシアーノを廃位。
オルドーニョ1世 850年–866年
アルフォンソ3世 866年–910年 大王 王国は3人の息子の間で分割され、ガルシア1世はレオンを 、オルドーニョ2世ガリシアを、フルエーラ2世はアストゥリアスをそれぞれ相続した。
フルエーラ2世 910年–925年 Froila 死後にアストゥリアスはレオン王アルフォンソ4世によって掌握され、他方、アルフォンソ・フロイラスは空しい王位請求を行った。

年表

フルエーラ2世 アルフォンソ3世 (アストゥリアス王) オルドーニョ1世 ラミロ1世 (アストゥリアス王) アルフォンソ2世 (アストゥリアス王) ベルムード1世 マウレガト シロ (アストゥリアス王) アウレリオ フルエラ1世 アルフォンソ1世 (アストゥリアス王) ファビラ ペラーヨ

系図

アストゥリアス王室系図

関連項目




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