王の一覧
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在位年名前備考ナバテア王 紀元前169年 アレタス1世(英語版) 紀元前120年/110年 - 紀元前96年 アレタス2世(英語版) いくつかの情報源ではラベル1世の後継者であるとされる 紀元前96年 - 紀元前85年 オボダス1世(英語版) 紀元前85年/84年 ラベル1世 いくつかの情報源ではアレタス1世の後継者であるとされる 紀元前84年 - 紀元前60年/59年 アレタス3世(英語版) 紀元前62年にローマより王として認証される(紀元前63年よりローマの属国となったため) 紀元前62年/61年 - 紀元前60年/59年 オボダス2世 (?) 近年まで存在が不確かだった。統治期間は恐らく数ヶ月程度であったとされる 紀元前59年 - 紀元前30年 マリクス1世 ローマおよびヘロデ大王の属国 紀元前30 - 紀元前9年 オボダス3世 ローマの属国。以前はオボダス2世とされていた。 紀元前9年/8年 - 西暦39年/40年 アレタス4世(英語版) フルドゥ, 王妃 西暦16年まで貨幣に肖像がみられるが、その数年後アレタス4世発行の貨幣には2番目の妃シャキラト1世の肖像があらわれるようになる 西暦39年/40年 - 西暦69年/70年 マリクス2世(英語版) シャキラト2世(英語版), 王妃 西暦70年/71年 - 西暦106年 ラベル2世(英語版) ガミラト, 王妃 西暦106年 ローマ皇帝トラヤヌスによってアラビア属州に併合された
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王の一覧
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「アストゥリアス王の一覧」の記事における「王の一覧」の解説
王統治期間綽名別名備考ペラーヨ 718年–737年 Pelayo コバドンガの戦いを通じて王国の土台を築き、カンガス・デ・オニスを首都にする。 ファビラ 737年–739年 Favilac、Fafila アルフォンソ1世 739年–757年 カトリック王 アルフォンソ1世およびその子孫はアストゥリアス=レオン王家 (es) と形づけられる。 フルエーラ1世 757年–768年 残酷王 Froila アウレリオ 768年–774年 Aurelio シロ 774年–783年 アルフォンソ1世の娘で自身の妻であるアドシンダ(英語版)を介して王位を継承。首都をプラビア(スペイン語版)に移転。 マウレガート 783年–788年 簒奪王 Mauregato アルフォンソ1世の庶子で王位を簒奪。 ベルムード1世 788年–791年 助祭王、修道士王 Veremund、Vermudo 修道士に復帰 アルフォンソ2世 791年–842年 純潔王 オビエドに首都を移転。 ネポシアーノ 842年 Nepociano 王位を簒奪。ラミーロ1世と後継を争い、敗れる。 ラミーロ1世 842年–850年 ネポシアーノを廃位。 オルドーニョ1世 850年–866年 アルフォンソ3世 866年–910年 大王 王国は3人の息子の間で分割され、ガルシア1世はレオンを 、オルドーニョ2世 はガリシアを、フルエーラ2世はアストゥリアスをそれぞれ相続した。 フルエーラ2世 910年–925年 Froila 死後にアストゥリアスはレオン王アルフォンソ4世によって掌握され、他方、アルフォンソ・フロイラスは空しい王位請求を行った。
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ティトゥス・リウィウスの伝承とハリカルナッソスのディオニュシオスの伝承に基く。 名肖像在位説明ラティヌス 不明 ラテン人の祖。イタケーの王オデュッセウスの子、ラウィニアの父、シルウィウスの祖父。 アエネーアース 不明 トロイア王家の末裔アンキーセースとギリシャ神話の女神アプロディーテーの子、アスカニウスとシルウィウスの父。 アスカニウス B.C1179-1141 アエネーアースとトロイア王女クレウーサの子。シルウィウスの異母兄弟。 シルウィウス B.C1141-1112 アエネーアースとラテン王女ラウィニアの子。アエネーアース・シルウィウスの父。 アエネーアース・シルウィウス B.C1112-1081 シルウィウスの子。 ラティヌス・シルウィウス B.C1081-1030 アエネーアース・シルウィウスの子。 アルバ・シルウィウス B.C1030-991 ラティヌス・シルウィウスの子。 アテス B.C991-965 アルバ・シルウィウスの子。 カペス B.C965-937 アテスの子。 カペートゥス B.C937-924 カペスの子。 ティベリヌス・シルウィウス B.C924-916 カペートゥスの子。ティベリス川の由来となった人物。 アグリッパ B.C916-875 ティベリヌス・シルウィウスの子。 アルディウス B.C875-856 アグリッパの子。専制的な君主として恐れられ、暗殺されたという。 アウェンティヌス B.C856-819 アルディウスの子。七つの丘の一つ、アウェンティヌス丘の由来となった。 プロカス B.C819-796 アウェンティヌスの子。ロームルスとレムスの曽祖父にあたる。 ヌミトル 不明 プロカスの子。ロームルスとレムスの祖父。 ロームルス B.C753-717 ローマの建国者。ヌミトルの孫、レムスの兄。
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「伝承上におけるブリタニア王の一覧」の記事における「王の一覧」の解説
此処では諸々の書物の中で最も古く、権威のある歴史家ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王伝』(1136年)を採用し、ブリタニア神話における王の一覧を記述する。王の称号はスコットランド人の王、イングランド人の王、ウェールズ人の王、コンウォール人の王に大別されている。 これらの王は神話上の者も居れば、史実でブリタニアを支配した王や貴族の名を用いているものもある。ただし史実の支配者を用いている場合でも、時系列に変更や修正が行われている場合がある。 イングランド王スコットランド王ウェールズ王コンウォール王同時代の人物ブルトゥス1世 (在位24年間) コリネウス エリ (サムエルの父)、アエネーイス・シルウィウス (ラテン人の王、ブルトゥス1世の親族) ロクリウス (在位10年間) アルバナクトゥス カムベル 女王グウェンドリン 女王グウェンドリン (在位15年間) マッデン (在位40年間) 女王グウェンドリン(隠居) サムエル(ユダヤ教の土師)、ホメーロス(古代ギリシャの詩人)、アエネーイス・シルウィウス メンプリキウス (在位20年間) サウル (初代イスラエル王)、 エウリュステウス(ミュケーナイ、ティーリュンスの王) エブラウクス (在位40年間) ダビデ (イスラエル王) 緑盾王ブルートゥス2世 (在位12年間) レイル ソロモン (イスラエル王) ルッドフッド・フディブラス (在位39年間) ハガイ/アモス/ヨエル/アザルヤ(ユダヤ教の預言者) ブラドッド (在位20年間) エリヤ(ユダヤ教の預言者) レイア (在位60年間) 女王コルデイラ (在位5年間) マルガヌス1世 (北の王)とクネダギウス (南の王) クネダギウス (在位33年間) イザヤ/ホセア、ロームルスとレムス (初代ローマ王) リウァロ グルグスティウス シシリウス1世 イアゴー キマルクス ゴルボドゥゴ フェレックスとポレックス1世 ブリタニア内戦 ピネル スタリウス ルダウクス Cloten ドゥンワロ・モルムティウス ドゥンワロ・モルムティウス (在位40年間) ブレンニウス (北の王) とベリヌス (南の王) アッリアの戦い ベリヌス グルグウィント・バルブトルック パルソローン(アイルランド神話の人物) グウィテリヌス 女王マルキア (復位) シシリウス2世 キナリウス ダニウス モルウィドゥス ゴルボニアヌス アルトガロ エリドゥルス (在位5年間) アルトガロ (復位) エリドゥルス (復位) ペレドゥルス (北の王) とインゲニウス (南の王) ペレドゥルス エリドゥルス (復位) ゴルボニアヌスの子 マルガヌス2世 エンニアウヌス イドウァリウス ルノ ゲレンヌス カテルス ミリウス ポレックス2世 ケリン フルゲニウス エダドゥス アンドラギウス ウリアヌス エリウド クレダウクス クロテヌス グルギンティウス メリアヌス ブレドゥド カプ オエヌス シシリウス3世 ブレドガブレド アルトマイル エルドル レドン レデキウス サムイル・ペニッセル ピア・オブ・ブリトン カポイル クリグウェイルス ヘリ ヘリの子ルッド カッシベラウヌス ユリウス・カエサル(共和政ローマの独裁官)、第一次ブリタニア遠征 テヌアンティウス キンベリヌス アウグストゥス(初代ローマ皇帝)、ナザレのイエス (ユダヤ教の司祭、キリスト教の救世主) グウィデルス クラウディウス(ローマ皇帝)、第二次ブリタニア遠征 アルウィラグス ウェスパシアヌス、マルコ(福音記者)、パウロ(キリスト教の聖人) ブリタニアのマリウス コイルス ブリタニアのルキウス エレウテルス (ローマ教皇) セプティミウス・セウェルスのブリタニア遠征 セプティミウス・セウェルス (ローマ皇帝) バッシアヌス (カラカラ) カラカラ (ローマ皇帝) カラウシウス アッレクトゥス 執政官アスクレピオドトゥス 老王コオル コンスタンティウス コンスタンティウス・クロルス (ローマ皇帝) 大帝コンスタンティヌス コンスタンティヌス1世 (ローマ皇帝) ブリトンのオクタウィウス トラヘルン ブリトンのオクタウィウス マクシミアヌス マグヌス・マクシミアヌス (ローマの帝位請求者) ディオノトゥス コンスタンティヌス2世 コンスタンティヌス3世 (ローマの帝位請求者) コンスタンス2世 コンスタンス2世(ローマの帝位請求者) ヴォーティガン ウォルティメル 司祭ゲルマヌス (キリスト教の司祭)、アイレスフォードの戦い アウレリアヌス・アンブロシウス ウーテル・ペンドラゴン アーサー・ペンドラゴン ベイドン山の戦い コンスタンティヌス3世 アウレリウス・コナヌス アウレリウス・カシウス(グウェント王国、ポーイス王国の王) ウォルティポリウス ウォルティポリウス(ダヴェッド王国の王) マルゴー メルグィン(グウィネズ王国の王) カレティクス サクソン軍の侵略 カンタベリーのアウグスティヌス (キリスト教の司祭) カドヴァン・アプ・イアゴ カドヴァン・アプ・イアゴグウィネズ王国の王) カドウァロ カドウァラドルス カドウァラドルス王の死後、中世初期に這入りこんできた異邦人(アングロ人、サクソン人、ジュート人)の南ブリタニアの支配が決定的になった。対照的にローマ支配から南部ブリタニアで支配的な民族となっていたブリトン人は勢力を弱め、カドウァラドルの子孫も僻地に残るブリトン人領域を支配するに過ぎなくなっていた。またサクソン軍らに追われたブリトン人の一部は海を越えてブルターニュ半島に逃げ込み、ブルターニュ人として知られるブリトン人の支族勢力を形成したが、彼らも南ブリタニアを奪い返す事はできなかった。次第にアングロ人、サクソン人、ジュート人ら異民族は支配地のブリトン人と混血し、イングランド人としての新しい文化と帰属心を形成していった(イングランド王)。 ブリタニア南部でイングランド勢力が強まると益々ブリトン人は各地へと追いやられ、コンウォール地方(島南部の付け根部分)とウェールズ地方(南西部の山岳地帯)に支族勢力を形成した。この内、ウェールズ人はルウェリン・アプ・グリフィズの元に統一され、ウェールズ大公国を樹立してイングランド王に抵抗を続けた。彼らは名目上ではあるが、上記の伝承上における神話から古代までのブリタニア王位を引き継いでいるとも考えられていた。だがウェールズ大公家は長くは続かず、ダフィズ・アプ・グリフィズの代に滅ぼされてトロイのブルータスから続いたブリタニア王家の伝承は消滅した。 しかし後年にウェールズ系の貴族として力を付け、最終的にイングランドやスコットランドの王位を簒奪するチューダー朝はルウェリン・アプ・グリフィズの末裔を自称している。これを正当とした場合、チューダー朝はトロイのブルータスからの伝承を引き継いでいる事になる。
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