王の写本とは? わかりやすく解説

王の写本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 01:46 UTC 版)

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王の写本を開いた姿。

王の写本[1]おうのしゃほんアイスランド語Konungsbók[2]ラテン語Codex Regius, 王書王室写本欽定写本レギウス写本とも。)は、『詩のエッダ』(Sæmundar-Eddu[2])が記録されているアイスランド語写本コデックスも参照)である。写本番号は「GKS 2365 4to」[3]など[4]

概要

写本は、45枚の羊皮紙[5]でできており、1270年代に書かれたと考えられている。 ただし32枚目の後にあった[5]8枚のページが、現在はなくなってしまっている。 失われたのは『シグルドリーヴァの言葉』の終わりの部分から『シグルズの歌断片』の終わりの部分までであり、なくなった部分に書かれていたことは『ヴォルスンガ・サガ』の内容から想像できると考えられている[5]。 この写本に収録された詩の大部分が、唯一の情報源となっている。

1643年に、当時アイスランド南部の村スカールホルトで司教をしていたブリンニョウルヴル・スヴェインスソン英語版の財産となるまで、その所在はまったくの不明であった。そして1662年、彼はデンマーク王フレデリク3世にその写本を贈った。

写本はその後、1971年4月21日までコペンハーゲンにある王立図書館で保管された。 それからレイキャビクへ運ばれ、以後はアウルトニ・マグヌッソン研究所英語版で保管されている。そのような貴重な荷物を運ぶにあたり、飛行機での移動が十分に信頼されている時代ではなかったため、写本は儀仗兵に伴われて船で運ばれていった。

内容

『スノッリのエッダ』の『王の写本』

スノッリのエッダ(散文のエッダ)』を伝える主要な写本のうちの1つ(GKS 2367 4to)もまた、『王の写本』(Konungsbók Sn-E)[2]という名前がついている。成立は14世紀前半にまで遡り、55枚のベラム皮紙で作られている。

それはまた、前述の、ブリンニョウルヴルからフレデリク3世への贈り物の中の1つであった。1985年アイスランドに返却され、現在はアウルトニ・マグヌッソン研究所に置かれている。

脚注

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注釈
出典
  1. ^ 菅原訳、ノルダル『巫女の予言 エッダ詩校訂本』p.9,43,115 などの表記。
  2. ^ a b c 『巫女の予言 エッダ詩校訂本』、9頁。
  3. ^ 「GKS」は「Gamle Kongelige Samling」[1]デンマーク語)の略で「王立図書館旧コレクション」を意味する。「4to」は「四つ折り版英語版」であることを表す。
  4. ^ 他に、たとえばエリアス・ヴェセーン(菅原邦城訳)『北欧の言語 新版』(東海大学出版会、1988年、ISBN 978-4486002536)では「Cod. Reg. g. s. 2365」となっている。「コペンハーゲン王立図書館 (Cod. Reg.) 所蔵の旧コレクション (g. s.) 2365番」という意味とのこと。
  5. ^ a b c 『エッダ 古代北欧歌謡集』285頁。

参考文献

関連項目

外部リンク


王の写本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:32 UTC 版)

古エッダ」の記事における「王の写本」の解説

現存する最古古エッダ写本は、1643年アイスランドスカールホルト司教ブリュニョールヴル・スヴェインスソン (Brynjólfur Sveinsson) によって発見されたものである。この写本1662年彼により時のデンマーク王贈られコペンハーゲンデンマーク王立図書館 (Danish Royal Library) に所蔵されたため、「王の写本」と呼ばれている。写本1971年アイスランド返還された。 この王の写本には、スノッリの『エッダ』引用という形で残されていた詩や、北欧神話物語る詩が数多く含まれており、スノッリが自身『エッダ』を著す際にその元とした本であろう考えられ、「古エッダ」と呼ばれるようになった。しかし現在では、実際に成立したのは『エッダ』より遅く1270年頃に編纂されたものではないか考えられている。 古エッダは、ブリュニョールヴルがこれを12世紀の僧セームンドル・シグフースソン (Sæmundr fróði) (博識なセームンドル)の作だと考えていたことに倣い、また「スノッリのエッダ」に対応して、「セームンドルのエッダ」と呼ばれていたこともあった。しかし、このセームンドルが「古エッダ」の作者であるという説は、現在では否定されている。 スウェーデン学者グスタヴ・リンドブラド (Gustav Lindblad) は、この王の写本収録エッダ詩が実は注意深く配列されているものであることを指摘し、また各詩の導入部置かれている散文は王の写本の編者詩の内容注意を払っていたことを示唆し収録されている詩群は1200年頃から集められ始められたのではないかという仮説唱えた

※この「王の写本」の解説は、「古エッダ」の解説の一部です。
「王の写本」を含む「古エッダ」の記事については、「古エッダ」の概要を参照ください。

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