王の城、教皇幽閉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「王の城、教皇幽閉」の解説
1401年、プファルツ選帝侯ループレヒト3世はローマ王(ドイツ王)になった。城は王の宮廷としては大変に手狭であり、戴冠式の後、ループレヒトはアウグスティン修道院(現在の大学)にまで宮廷を拡張した。それは王の宮廷にふさわしく、多くの官吏が執務するスペースを有するものであり、同時に防衛施設としても機能すべきものであった。 1410年にループレヒトが亡くなった後、その支配地は4人の息子達の間で分割された。プファルツの本拠地は長男のルートヴィヒ3世のものとなった。コンスタンツ公会議後、1415年に皇帝ジギスムントの命令により、アイヒェルスハイム城(現在のマンハイム、リンデンホーフ区)にいた元対立教皇ヨハネス23世がこの城に拘禁された。 フランスの詩人ヴィクトル・ユーゴーは1838年にハイデルベルクを訪れ、城趾を特に好んで散策した。この取材に基づいて教皇幽閉の歴史を記述している。
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