王の在り方の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
第18王朝以前では王は神として崇められたが、18王朝末期になると、後継者問題のため宰相のアイ、将軍のホルエムヘブ・ラメセス1世など、明らかに王の血筋ではなかった人物が王として君臨するようになった。そのため、王であるからという理由では強権を振るえず、遠征・貿易などにより国民生活を豊かにするという保証をもって初めて王として権力を持つことができるような認識が広まった。国民生活を確かに豊かにしたセティ1世・ラメセス2世両王はともに神格化されている。 例えば、第19王朝第2代セティ1世は、アマルナ時代に破壊された各地の神殿などを修復し、アメン神官団と良好な関係を築いた。加えて、第18王朝までは王都はメンフィスにあり、ここよりアジア遠征などをしていたが、対外情勢の変化に対応する必要性を感じたセティ1世は、よりアジアに近い場所に新たな都、ペル・ラメセスを建設し、遷都した。これを足掛かりにしてアジア方面に度々遠征したが、それだけでなくヌビアにも遠征するなど活発な活動を行った。このことが国民に認められたかどうかは定かではないが、自身の死後にセティ1世葬祭殿を築き、自身を神格化し祀っている。ここでは、アメン=ラー神を合わせて神格化されたセティ1世を含む7柱が同格に祀られており、アメン神だけの優遇は回避されている。
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