王の二つの身体とは? わかりやすく解説

王の二つの身体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 08:50 UTC 版)

王の二つの身体』 (英語: The King's Two Bodies)は、1957年に刊行されたエルンスト・カントロヴィチによる政治思想史の研究書。「中世政治神学研究」との副題がついている。

カントロヴィチの研究によれば、ヨーロッパ自然的身体 (body natural) と政治的身体 (body politic) という二つの身体を持っている。自然的身体は死すべき身体であって、偶然や不確実性、生物的な虚弱性の脅威に脅かされる。 一方、政治的身体は見ることも触れることもできない身体である。それは政策と政府から成り、人々を導き、公共の福利を進める身体である。この身体は自然的身体の欠陥や弱点を免れている。自然的身体は政治的身体を具現化する。

カントロヴィチは本書の中で、ヨーロッパの王の二つの身体が統一されており、王が生きている限りは分離されることがないという神学的思考を歴史的に辿ってみせる。この神学的思考はキリストの受肉が下地となり、清教徒革命、ひいては民主主義の精神の母胎となったという。

日本語訳


王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 02:03 UTC 版)

王権神授説」の記事における「王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ)」の解説

中世前期皇帝派著述家たちはしばしば王が霊的な権能有していることを主張したカロリング朝時代、カスウルフはカール大帝について次のように述べている。 「我が王よ、汝は汝の王たる神の代理人であることをつねに頭にとめておかれますよう。…(中略)…司教二次的な地位にいるに過ぎません。」。 また、同時代アルクィンカール大帝教皇ビザンツ皇帝よりも上位考えている。 それに対し教皇派著述家たちは王権聖職者として性格拒否した。王は純粋に世俗的肉体的な自然的身体を持つ一方で王として塗油された瞬間から他の世俗的権力者超越する霊的身体を持つと考えられ皇帝派によって大い喧伝された。12・13世紀皇帝派はむしろ塗油をすでに重視しなくなっていた。彼らによれば皇帝教皇存在する以前から存在しこの世あらゆる権力は神に由来するのであるから、古代皇帝塗油聖別されずとも完全な権力有していたことになる。したがって、彼らにとって塗油とは皇帝教皇承認する行為過ぎず皇帝教皇権由来するものではないとされた。中世後期には、法学理論によって武装した皇帝帝国勅令「リケット・ユーリス」によって、その神聖性を確立する。この勅令によって、皇帝権力は神のみに由来し皇帝選挙によって選出され瞬間から教皇承認追認なくして権力行使することができるとされた。教皇派は「王に対す塗油が、司教対するものと違って、魂に何の影響与えない」つまり何の秘蹟影響も王にもたらさないため、王の聖性根拠にはならないという意味。これはヨハネス22世エドワード2世述べた言葉。しかし、ローマで行われる皇帝戴冠式以外に教皇影響力を及ぼすことが結局出来ずイングランドフランスでは伝統に従って塗油おこなわれ、むしろ中世後期には儀式における典礼的・神秘的な洗練強められたとして、前者考え否定した中世後期にいたると、王の霊的権能のほとんどは名目的な称号役職へと退化していたが、それでも著述家たちは王が単に世俗的な支配者であるに留まるわけではないことを強調した。これには中世発達した法学影響がある。王権叙任権闘争過程失った聖職者性格を、新たにローマ法哲学によって回復する至った。このことはルッジェーロ2世1140年出した法令序文如実に表現されている。「神へのこの奉献により王の職務は、自らに司祭として特権要求する。このことにより、或る賢者法学者は、法を解釈する人々を『法の司祭』と呼ぶのである。」中世多く法学者が、法を扱う裁判官法学者自身を、司祭なぞらえており、それらの職業神聖視するに至った。そして世俗国家新たな聖性付与することに成功した。 王はあらゆる法的義務から超越し正義源泉であると考えられた。その過程において、王権は王個人区別して観念されるようになった法学者たちは、王には自然的身体政治的身体の二つ身体があり、自然的身体は可死的な王の生まれながら身体であるが、政治的身体不可死かつ不可視で、政治組織政治機構からなり公共福利をはかるために存在していると考えたイングランドでは1534年宗教改革によって英国国教会組織され国王帰属されたために、王は政治的身体のほかに霊的身体獲得したテューダー朝からステュアート朝にいたる絶対王政のなかでイングランド王象徴権能強化されていったが、やがて清教徒革命によって共和政樹立されると、政治理論における正統性徐々に失っていった。名誉革命によって立憲君主制目指す方向性定まると、王の身体王権象徴としての意味失い王権イギリスの法によって規定され直された。ヴィクトリア女王時代には王権は「国民統合象徴」として観念せられ、家庭的イメージ母性イメージ付加されていくことになる。

※この「王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ)」の解説は、「王権神授説」の解説の一部です。
「王の二つの身体(霊的王権から政治的王権へ)」を含む「王権神授説」の記事については、「王権神授説」の概要を参照ください。

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