カンター論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 02:06 UTC 版)
「エルンスト・カントロヴィチ」の記事における「カンター論争」の解説
アメリカの中世史家ノーマン・カンター(英語版)は、自著Inventing the Middle Ages (1991)において、若き日のカントロヴィチはユダヤ人の出自を持ちながら、その知的気質や文化意識からしてナチであったと考えられる、と評した。カンターは、同時代に似た分野に携わったドイツ人中世史家で、ナチ党に入党し戦争中に国防軍最高司令部の日誌係として勤務していたPercy Ernst Schramm(英語版)を挙げて、カントロヴィチと比較した。さらにカンターはヴァイマル期のカントロヴィチがエリート主義的ナショナリズムに傾倒していたことから、彼がナチ政府の保護下にあったという誤った主張を展開した。 これに対し、カントロヴィチの直弟子でもあるロバート・L・ベンソンら擁護派は、若きカントロヴィチがゲオルゲ・クライスのロマン主義的ウルトラナショナリズムを受容していた一方で、ナチ党に対しては戦前も戦後もただ軽蔑するだけであり、ヒトラー政権に対しては批判の声を上げていたと反論した。また他の観点からカントロヴィチを批判しているデイヴィッド・アブラフィア(英語版)やロバート・E・ラーナー(英語版)も、カンターの説を否定している。コンラッド・レーザーは、2016年に『王の二つの身体』の前書きとしてこの論争をまとめたうえで、カンターの言説は「虚偽と半端な真実のないまぜ」であるとしつつ、カントロヴィチ自身がドイツ時代を抑制しようとしたことに対する予測可能な反応であったと評した。同2016年にはマイケル・リプキンも、カンターの言説は『皇帝フリードリヒ2世』の右派的傾向を指摘している点などでは正しいが、「持論を揉みしだいたせいで無意味なものにしている」と批判した。
※この「カンター論争」の解説は、「エルンスト・カントロヴィチ」の解説の一部です。
「カンター論争」を含む「エルンスト・カントロヴィチ」の記事については、「エルンスト・カントロヴィチ」の概要を参照ください。
- カンター論争のページへのリンク