ヨハネス22世 (ローマ教皇)
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ヨハネス22世(Ioannes XXII、1244年? - 1334年12月4日)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位1316年 - 1334年)。教会慣用名はヨハネ[1]。
注釈
- ^ 政治家でもあったフィレンツェ出身の文人ダンテ・アリギエーリは、グエルフィの指導者と目されていたナポリ・アンジュー朝のロベルト1世について、「口先だけの王」と断じている。マックスウェル・スチュアート(1999)p.167
- ^ カオール大学出身者としては、16世紀から17世紀にかけての聖職者・法律家で天文学者のジャン・タルドがいるが、大学そのものは18世紀になくなっている。
- ^ 教会の異端審問では、拷問の適用にはきびしい規制が課せられており、死刑を科すことはできなかった。死刑判決は世俗の裁判所の管轄となっていたので、強情な異端者はそこに引き渡され、刑の宣告や執行がなされた。マックスウェル・スチュアート(1999)p.197
- ^ チェザーレのミケーレの流れを汲む人々は、のちに南イタリアのナポリ王国やシチリア王国に逃亡し、「フラティチェッリ」と呼ばれる聖霊派の残党と合流した。小田内(2010)pp.249-250
- ^ フランス王シャルル5世は、1380年、錬金術の操作に必要な器具類の所有を禁止した。平田(2004)
参照
- ^ a b 小林(1966)巻末「歴代法王票」p.9
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s マックスウェル・スチュアート(1999)pp.166-169
- ^ a b 小田内(2010)pp.209-213
- ^ a b c d e f 標珠実「教皇権による聖職禄授与権の立法化とその適用 -ヨハネス22世の聖職禄政策にみる知と権力-」『早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第4分冊日本史東洋史西洋史考古学』第51巻、2006年2月、65-74頁、CRID 1050282677456635008、hdl:2065/27667、ISSN 1341-7541。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 小田内(2010)pp.213-217
- ^ a b ロバーツ(2003)pp.162-164
- ^ a b 小田内(2010)pp.246-249
- ^ 小田内(2010)pp.249-250
- ^ a b 佐藤&池上(1997)p.259
- ^ 小林(1966)pp.144-145
- ^ 平田(2004)
- 1 ヨハネス22世 (ローマ教皇)とは
- 2 ヨハネス22世 (ローマ教皇)の概要
- 3 参考文献
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