最後の論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 14:18 UTC 版)
「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の記事における「最後の論争」の解説
1331年の冬、ヨハネス22世は説教のなかで、天国で至福を得る条件について、人は死後ただちに神を目の当たりにみて最高の幸福にいたるという従来の教説(至福直観)とは異なり、至福は最後の審判のときまで得られないという独自の見解を表明した。この見解は物議をかもし、パリ大学や多くの在野の神学者から異端的教説との非難を浴びた。このことより、教皇の晩年は非常に寂しいものとなった。教皇と反目するすべての人間がヨハネス22世の見解を批判したが、教皇がそうした重大な危機からかろうじて救われたのは、臨終の悔悛によってであった。
※この「最後の論争」の解説は、「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
「最後の論争」を含む「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の記事については、「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の概要を参照ください。
- 最後の論争のページへのリンク