最後の見証人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 10:20 UTC 版)
賈英華は四十年数年もの歳月をかけて堅持し、溥儀身辺のほとんどの見証人を取材し、大多数の取材は全て録音の記録を留めていた。取材中に、賈英華と溥傑、婉容の弟潤麒等多くの皇族とは忘れがたい仲となった。それ以外に、賈英華も又中国最後の宦官、孫耀庭とは最愛の友となり、取材の際に百時間余りの録音テープや10数本にも及ぶBETAビデオテープを残した。 1980年5月29日、溥儀の追悼会が丁重に催された。溥儀が1967年に逝去された際に、ただ一つの小さな骨壷と溥傑の簡単な題詞を読み上げたのだった。この時少し大きめの梨木の骨灰の箱に変える必要があり、李淑賢は賈英華に溥儀の墓誌の代作を行うことに同意し、溥傑も快く同意したのだった。よって、賈英華は末代皇帝のために墓誌の代作を行う人物となった。 上記作品以外に、代表作には「最後の宦官秘聞 ラストエンペラー溥儀に仕えて」(英語、日本語版を出版し、且15種類の文字で翻訳され、連載された。);又「末代皇帝の帝位継承秘話」(北京第二回図書祭でベストセラーとなった)、「末代皇帝最後の婚姻の謎を解く」は国外向け中文旧字体版を出版、国内数百に及ぶメディアから評価を得た。特に「最後の宦官秘聞 ラストエンペラー溥儀に仕えて」日本語版は、出版してから数ヶ月以内に第七版まで印字するほどの売れ行き。其の他に《新中国国旗、国家、国章、国都、紀年の誕生》(本書は国家教育委員会政治教材輔導書として指定される。)等の作品がある。2012年には人民文学出版社より「末代皇族シリーズ」――「末代皇帝的非常人生——告訴你一個你所不知道的溥儀(末代皇帝の非常な人生――あなたの知られざる溥儀を語る)」、「末代皇妹韞龢(末代皇帝の妹韞龢)」、「末代皇叔載濤(末代皇帝の叔父載濤)」、「末代國舅潤麒(末代皇帝溥儀の舅潤麒)」等多くの歴史伝記物語、ドキュメンタリー、散文、旅行記、詩詞等、さまざまなジャンルの文学作品がある。 賈英華は、多年にわたり、前後数百人の関係者を取材するかたわら、末代皇帝、末代宦官及び清末の宮廷に関する資料や映像を捜し集め、その数千万字にも及び、其の一部は国内外でも希少価値を有したものだった。彼も「末代太監游故宮(末代宦官再び故宮に赴く)」、「末代太監憶生平(末代宦官生い立ちを遡る)」、「末代皇族生活実録(末代皇族の生活実録)」の作品等、自費で清末頃の人物の音声を数百時間収録したり、ドキュメンタリー映像の制作を行い、国内外から幅広く注目を集めた。それ以外に、大型ドキュメンタリー「故宮」の司会者の一人でもあった。 賈英華によって記された「末代皇帝シリーズ」、は国内外の権威有るメディアより幅広く脚光を浴びた。2010年には「中国当代(現代)人物伝播100家」に入選した。中国日報、人民日報、ニューヨークタイムズ、ロイター通信社、ワシントンポスト、ロサンゼルスタイムズ、イギリスのガーディアン紙、フランスのエクスプレス紙、欧州時報、日本時事社、香港文匯報、蘋果報、臺灣旺報等香港、オーストラリア、台湾等の多くの国際的権威を有するメディアから賈英華及び「末代」の作品について大幅に論じられた。多くの権威を有するメディアからは「賈英華は末代皇帝と末代宦官等清朝末期の宮廷人物の史料について全面的に占める量は当代第一人者である。」と評している。 2012年2月12日前後に新浪、雅虎(ヤフー)等のポータルサイトは賈英華が司会を行うインターネット番組「掲秘最後的聖旨(最後の聖旨の秘密を説き明かす)」を報道した。100年までのこの日に、年僅か六歳の宣統皇帝溥儀は一枚の詔書により退位を宣布し、2000数年にも渡る封建皇帝制度に終止符を打った。賈英華は「掲秘最後的聖旨(最後の聖旨の秘密を説き明かす)」シリーズのインターネット番組において、彼が収蔵した百年前理藩部が印刷した、「溥儀遜位詔書」と「清室優待條件」等のオリジナル史料及び世に公開されていない歴史的写真等大量の文物を公開した。「愛新覚羅溥儀最後の人生」、「最後の宦官秘聞 ラストエンペラー溥儀に仕えて」を完成させた後に初めて製作したフルハイビジョンの映像作品だ。
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