き‐びら【生平】
せい‐へい【生平】
生平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:48 UTC 版)
張儼は若年時から既に名声を博しており、同郷の朱桓の子の朱異・張惇の子の張純と友好を結んだ。三人で驃騎将軍朱拠をたずねた折には、その才を賞賛された。呉に使えると顕職を歴任し、孫権に『請立太子師傅表』を上表した。後に博聞多識をもって大鴻臚に任命された。宝鼎元年(266年)、命令を受け五官中郎将丁忠とともに晋への使者となり、司馬昭を祭る喪事に参列した。張儼は洛陽に到着した後、賈充・裴秀・荀勗らに難問をもって試されたがこれに屈さなかったという。また羊祜・何楨らと親交を結んだ。呉の都の武昌への帰還の途中に亡くなった。 著作には『黙記』三巻・『張儼集』二巻があり、子の張勃・張翰らが張儼の死後、善く書き写したため散逸を免れたとされるが現在は失われている。『黙記』は裴松之が『三国志』の注釈と付けた諸葛亮の『後出師表』の出典とされるが、その真贋には議論がある。
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