皇帝ルートヴィヒとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 14:18 UTC 版)
「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の記事における「皇帝ルートヴィヒとの対立」の解説
ヨハネス22世が皇帝ルートヴィヒ4世に帝冠を授けようとしなかったため、両者の関係はきわめて悪化した。ルートヴィヒは教皇を廃位させるための教会会議の開催を求めた。弾圧され、雌伏を余儀なくされたフランシスコ会聖霊派もまた、皇帝ルートヴィヒ4世との連携に救いを見いだし、1328年、上述のようにフランシスコ会員のピエトロ・ライナルドゥッキを対立教皇のニコラウス5世としてローマに擁立した。 同年、ルートヴィヒは、アナーニ事件の首謀者のひとりでコロンナ家のシアッラ・コロンナからローマ市民を代表して神聖ローマ皇帝の帝冠を受け、ヨハネス22世の教皇廃位を宣言した。しかし、ルートヴィヒがローマを離れると対立教皇ニコラウス5世は捕らえられ、ニコラウスは1330年、ヨハネス22世に対し降伏した。ヨハネス22世は執念深い性格ではなかったため、ニコラウス5世はアヴィニョンで教皇庁内に部屋を与えられ、穏やかな晩年をすごすことができた。なお、ヨハネス22世の没後、ルートヴィヒ4世は1338年のレンゼ帝国会議において、ドイツ諸侯の多数決によって選出されたローマ王は教皇による戴冠がなくても神聖ローマ皇帝であるという原則を打ち立てた。
※この「皇帝ルートヴィヒとの対立」の解説は、「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
「皇帝ルートヴィヒとの対立」を含む「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の記事については、「ヨハネス22世 (ローマ教皇)」の概要を参照ください。
- 皇帝ルートヴィヒとの対立のページへのリンク