帝位請求者とは? わかりやすく解説

王位請求者

(帝位請求者 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 05:24 UTC 版)

王位請求者(おういせいきゅうしゃ)は、王位を現実行動として要求する者、もしくは理論上の王位継承順位の筆頭にある者のこと。請求対象が皇帝位である帝位請求者など、「王位」以外の君主の座を請求する者も本記事で扱う。歴史的な正統性・貴種性を有する者のみならず、高貴な血統を詐称することで玉座を狙う者や、逆に歴史や血統などによらない者も含まれうる。


注釈

  1. ^ このニュアンスで日本語訳すれば「王位僭称者(おういせんしょうしゃ)」、「王位覬覦者(おういきゆしゃ)」といった表現になる。
  2. ^ オーストリアのシュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ、ポーランドの保守王党派クラブ、チェコのコルナ・チェスカなど。
  3. ^ スペイン王位請求者のルイス・アルフォンソ・デ・ボルボンと同一人物。フランス語名での表記。
  4. ^ ジャコバイトは百年戦争期(1337年 - 1453年)からずっとイングランド王がフランス王位継承者たることを主張しているため、ヴァロワ朝フランソワ1世(在位:1515年 - 1547年)とフランソワ2世(在位:1559年 - 1560年)を当然フランス王として認めておらず、したがって「フランソワ」という名のフランス王は「フランソワ1世」ことモデナ公フランチェスコ5世に続いて彼が2人目ということになる。

出典

  1. ^ マイケル・ジョゼフ・グロス英語版 (2018年4月27日). ““There’s Nothing Wrong with Falling from Grace”: The Global Network of Monarchists Helping Deposed Kings and Queens”. ヴァニティ・フェア. https://www.vanityfair.com/style/2018/04/global-network-of-monarchists 2019年12月9日閲覧。 
  2. ^ Hadley Meares (2018年11月30日). “Why 100 Imposters Claimed to Be Marie Antoinette’s Dead Son”. ヒストリーチャンネル. https://www.history.com/news/louis-xvii-death-marie-antoinette-french-revolution 2020年1月10日閲覧。 
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  6. ^ “Jo šviesybė princas Inigo von Urachas, Uracho kunigaikštis, Württembergo grafas ir paskutinio Lietuvos karaliaus – Mindaugo II – anūkas, yra legitimus pretendentas į Lietuvos sostą.”. Delfiリトアニア語版. (2013年5月19日). https://www.delfi.lt/archive/mindaugo-ii-anukas-jei-lietuviai-panores-atgaivinti-monarchija-esu-pasirenges-priimti-sia-garbe.d?id=61409369 2020年1月10日閲覧。 
  7. ^ Mensaje al Pueblo Carlista de S.M.C. Don Carlos Javier I de Borbón, Rey de Las Españasblogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
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  12. ^ Marcus Stoimaier (2017年1月11日). “Die Kassen klingeln! So lebt Österreichs Adel”. weekend.at. http://www.weekend.at/entertainment/oesterreich-adel/41.702.723 2020年1月8日閲覧。 
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帝位請求者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/16 14:24 UTC 版)

キリル・ウラジーミロヴィチ」の記事における「帝位請求者」の解説

1922年8月キリルそれまで存在すらしていなかった「ロシア帝位保護者」の称号名乗った。そしてさらに2年後1924年8月31日キリルはさらに踏み込む形で「全ロシア皇帝にして専制君主」の称号名乗ったのである帝位継承法(英語版ロシア語版)に照らし合わせれば、キリルニコライ2世一家ミハイル大公ボリシェヴィキ政府によって処刑された今、ロシア帝位請求権者首位にあったしかしながらキリルの母がキリル出産した時にまだプロテスタント信徒正教改宗していなかったことを理由として、かつてのロシア皇族からキリル帝位請求には反対の声が挙がった加えて帝位請求者となって以降、仮に帝政復活実現するならばソヴィエト体制要素ロシア残ったままでも許容する考えだったこともあり、「ソヴィエトツァーリ」とまで揶揄されるようになった亡命生活を送る間、キリル正統王朝主義者(レギチミスティ、легитимисты)と名乗る亡命ロシア人一部から資金援助受けて生活していた(「正統」とは、キリル帝位継承の「正統性」にちなむ呼称だった)。キリル皇帝認めない人々は非決定主義者(ネプレドレシェンツィ、непредрешенцы)と呼ばれた。彼らは以前体制根底から覆すような革命起きてしまった以上、帝政復活するにしても新たな皇帝ゼムスキー・ソボル選出を受ける必要があるだろう、と主張していた。これには「前例」も存在した1922年白軍指導者一人ミハイル・ディテリフス将軍によって開催された「アムール地方ゼムスキー・ソボル」が、ニコライ2世キリル従叔父に当たるニコライ・ニコラエヴィチ大公を「全ロシア皇帝」と宣言していたのであるキリル青年ロシア人(ムラドロッシ(英語版))という君主制支持者組織から強力に支持されるようになった。ムラドロッシは亡命ロシア人による君主制支持組織で、他のファシスト運動とは距離を置いていたものの、ファシズムの強い影響受けていた。しかしムラドロッシはツァーリ専制体制ソヴィエト独裁体制平和的に共存可能であると主張するようになり、ソヴィエト対す共感強めていった(その頃から彼らは「ツァーリソヴィエト」をスローガンとして標榜した)。キリルはムラドロッシの組織者であるアレクサンドル・カゼム=ベク英語版)がGPUエージェントとの会合重ねていることを突き止めてからは、同組織に対して用心深くなった。キリルカゼムベク組織総裁職辞任することに同意している。キリル一人息子ウラジーミルは、第二次世界大戦が終わる頃までムラドロッシと繋がり保ち続けたキリル1938年死去する一人息子ウラジーミルロシア帝室家長の座を継いだが、帝室一部人々ウラジーミル家長とは認めなかった。ソビエト連邦崩壊した後、ドイツコーブルク埋葬されていたキリル遺骸サンクトペテルブルクペトロパヴロフスク要塞移された。 ウィキメディア・コモンズには、キリル・ウラジーミロヴィチ関連するカテゴリありますロシア帝室先代ニコライ2世 ロシア帝室家長1924年 - 1938年 次代ウラジーミル 表 話 編 歴 ロシア大公第1世代 アレクセイ・ペトロヴィチ アレクサンドル・ペトロヴィチ パーヴェル・ペトロヴィチ ピョートル・ペトロヴィチ 第2世代 ピョートル2世 ピョートル3世 第3世代 パーヴェル1世 第4世代 アレクサンドル1世 コンスタンチン・パヴロヴィチ ニコライ1世 ミハイル・パヴロヴィチ 第5世代 アレクサンドル2世 コンスタンチン・ニコラエヴィチ ニコライ・ニコラエヴィチ ミハイル・ニコラエヴィチ 第6世代 ニコライ・アレクサンドロヴィチ アレクサンドル3世 ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ アレクセイ・アレクサンドロヴィチ(英語版セルゲイ・アレクサンドロヴィチ パーヴェル・アレクサンドロヴィチ ニコライ・コンスタンチノヴィチ コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ ドミトリー・コンスタンチノヴィチ ヴャチェスラフ・コンスタンチノヴィチ ニコライ・ニコラエヴィチ ピョートル・ニコラエヴィチ ニコライ・ミハイロヴィチ ミハイル・ミハイロヴィチ ゲオルギー・ミハイロヴィチ アレクサンドル・ミハイロヴィチ セルゲイ・ミハイロヴィチ アレクセイ・ミハイロヴィチ 第7世代 ニコライ2世 アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ ゲオルギー・アレクサンドロヴィチ ミハイル・アレクサンドロヴィチ アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ キリル・ウラジーミロヴィチ ボリス・ウラジーミロヴィチ(英語版アンドレイ・ウラジーミロヴィチ ドミトリー・パヴロヴィチ イオアン・コンスタンチノヴィチ1 第8世代 アレクセイ・ニコラエヴィチ ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフ2 第9世代 フランツ・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン3 第10世代 ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフ3 1ロシア大公として誕生したが、アレクサンドル3世布告により大公地位喪失した。 2ロマノフ家協会英語版)は、キリル・ウラジーミロヴィチによる家長請求認めていない。 3ロマノフ家協会は、ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフによる家長請求認めていない。 典拠管理 WorldCat Identities BNF: cb149776122 (データ) GND: 122340191 ISNI: 0000 0000 8262 428X LCCN: n92087853 NKC: js20020812140 NLA: 36213800 SELIBR: 281250 SUDOC: 112514839 VIAF: 72272968

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帝位請求者(1824年 – 1864年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 17:00 UTC 版)

メキシコ皇帝」の記事における「帝位請求者(1824年1864年)」の解説

肖像名前請求備考 "アグスティン2世"(アグスティン・デ・イトゥルビデ・イ・ウアルテ1807年 - 1866年 1824年7月19日 - 1864年4月10日 アグスティン1世長男

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帝位請求者 (1867年 – 現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 17:00 UTC 版)

メキシコ皇帝」の記事における「帝位請求者 (1867年 – 現在)」の解説

肖像名前請求備考 "アグスティン3世"(アグスティン・デ・イトゥルビデ・イ・グリーン1863年 - 1925年 1867年6月19日 - 1925年3月3日 アグスティン2世の甥。マクシミリアーノ1世養子。 "マリア1世"(マリア・ホセファ・デ・イトゥルビデ・イ・ミコス・デ・タロタザ)1872年 - 1949年 1925年3月3日 - 1949年12月 アグスティン1世曾孫アグスティン3世従姪。 "マクシミリアーノ2世"(マクシミリアーノ・デ・ゴッチェン=イトゥルビデ(オランダ語版))1944年 - 現在 1949年12月 - 現在 マリア1世の孫(グスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン曾孫)。イトゥルビデ家(英語版)(ゴッチェン=イトゥルビデ家)の現当主。

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帝位請求者

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オスマン帝国の君主」の記事における「帝位請求者」の解説

(37) アブデュルメジト2世1922年 - 1944年先代最後の皇帝メフメト6世従弟32アブデュルアズィズ1世の子スルタン」ではないが「カリフ」の称号継承(1922-1924年)。1924年カリフ制そのもの廃止され退位。 (38) アフメト4世1944年 - 1954年33ムラト5世の孫 (39) オスマン4世1954年 - 1973年先代の弟33ムラト5世の孫 (40) アブデュルアズィズ2世1973年 - 1977年32アブデュルアズィズの孫(37) アブデュルメジト2世の甥 (41) アリー1世1977年 - 1983年(38) アフメト4世の子 (42) オルハン2世1983年 - 1994年34アブデュルハミト2世の孫 (43) エルトゥールル2世1994年 - 2009年先代従兄34アブデュルハミト2世の孫 (44) バヤズィト3世2009年 - 2017年31アブデュルメジト1世曾孫36代(最後の皇帝メフメト6世の兄メフメト・ブルハネッティン・エフェンディの孫 (45) アリー2世2017年 - 2021年34アブデュルハミト2世曾孫 (46)ハルーン・オスマン2021年 - 現在34アブデュルハミト2世曾孫

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