ミハイル・ニコラエヴィチとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 軍人・軍事関係者 > ロシア帝国の軍人 > ミハイル・ニコラエヴィチの意味・解説 

ミハイル・ニコラエヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/10 04:18 UTC 版)

ミハイル・ニコラエヴィチ
Михаил Николаевич

出生 (1832-10-13) 1832年10月13日
ロシア帝国サンクトペテルブルク
死去 (1909-12-18) 1909年12月18日(77歳没)
フランス共和国カンヌ
配偶者 オリガ・フョードロヴナ
子女 一覧参照
家名 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家
父親 ロシア皇帝ニコライ1世
母親 アレクサンドラ・フョードロヴナ
テンプレートを表示

ミハイル・ニコラエヴィチロシア語: Михаил Николаевич, ラテン文字転写: Michael Nikolaevich, 1832年10月13日 - 1909年12月18日)は、ロシアの皇族、ロシア大公。ロシア皇帝ニコライ1世と皇后アレクサンドラ・フョードロヴナとの間の四男。カフカース副王(在任:1862年 - 1881年)を長く務め、トビリシに住んだ。その後、1881年から1905年まで国家評議会議長の地位にあった。

子女

1857年、バーデン大公レオポルト1世の末娘ツェツィーリエと結婚した。正教に改宗してオリガ・フョードロヴナと名乗った妻との間に7人の子女をもうけた。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミハイル・ニコラエヴィチ」の関連用語

ミハイル・ニコラエヴィチのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミハイル・ニコラエヴィチのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのミハイル・ニコラエヴィチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS