ミハイル・ニコラエフとは? わかりやすく解説

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ミハイル・ニコラエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 23:48 UTC 版)

ミハイル・ニコラエフ
Михаил Ефимович Николаев
Дьэкиим уола Ньукулаайап Мэхээлэ
ミハイル・ニコラエフ(2008年撮影)
生年月日 (1937-11-13) 1937年11月13日
出生地 ソビエト連邦 ヤクート自治共和国オルジョニキーゼ地区オクテムツィー村
没年月日 (2023-08-04) 2023年8月4日(85歳没)
出身校 オムスク獣医大学
前職 獣医、ソ連共産党官僚、ヤクート自治共和国農相、最高会議幹部会議長、ソ連人民代議員
現職 サハ共和国大統領
所属政党 ソ連共産党(1991年離党)

在任期間 1991年12月27日 - 2002年1月27日
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ミハイル・エフィーモヴィチ・ニコラエフロシア語: Михаил Ефимович Николаев、ラテン文字表記の例:Mikhail Yefimovich Nikolaev1937年11月13日 - 2023年8月4日[1])は、ソビエト連邦およびロシア政治家ヤクート人ロシア連邦サハ共和国初代大統領(在任期間、1991年1月27日から2002年)やロシア連邦議会上院連邦会議副議長を務めている。

生涯

1937年11月13日ソビエト連邦ロシア共和国ヤクート自治共和国オルジョニキーゼ地区オクテムツィー村に農民の子として生まれた。

1961年オムスク獣医大学を卒業し獣医として勤務の傍ら、コムソモール活動に参加し、ヤクーツク市コムソモール第一書記などを歴任する。1963年ソ連共産党に入党する。1969年から1971年までソ連共産党中央委員会付属高等幹部学校で学ぶ。1975年ヤクート自治共和国閣僚会議副議長(副首相)、1979年ヤクート自治共和国農相、1985年ヤクーツク地区委員会書記(農業担当)を歴任し、農業改革に尽力した。

1989年ヤクート自治共和国最高会議幹部会議長に選出される。1990年ミハイル・ゴルバチョフペレストロイカに伴い、ヤクート共和国最高会議議長、ソ連人民代議員に選出された。

1991年ソ連8月クーデターが起こると、ソ連共産党を離党する。同年12月20日ヤクート自治共和国は大統領制を導入し、ニコラエフを初代大統領に選出した。このとき、ニコラエフは投票総数の76.7パーセントを獲得した。12月28日ヤクート自治共和国はヤクート・サハ共和国に名称を変更した。

1996年の大統領選挙では58.96パーセントを獲得し再選された。2002年に辞任後、連邦議会上院副議長を務めている。

著作

  • 『自由と人間の選択―新生サハ(ヤクート)共和国』,創現社出版,佐藤哲雄訳,1994年

脚注


公職
先代
自分自身
(最高会議議長)
サハ共和国大統領
初代:1991 - 2002
次代
ヴャチェスラフ・シュティロフ
先代
自分自身
ヤクート・サハ共和国
最高会議議長

初代:1990 - 1991
次代
自分自身
(大統領)
先代
(創設)
ヤクート自治ソビエト社会主義共和国
最高会議議長

初代:1990
次代
自分自身




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