ヴャチェスラフ・シュティロフとは? わかりやすく解説

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ヴャチェスラフ・シュティロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 09:41 UTC 版)

ヴャチェスラフ・シュティロフ
Вячеслав Анатольевич Штыров
ヴャチェスラフ・シュティロフ(2007年撮影)
生年月日 (1953-05-23) 1953年5月23日
出生地 ソビエト連邦 ヤクート自治共和国ハンドゥイガ
出身校 極東高等理工科学校(現在の極東工科大学
前職 サハ共和国議会議員、ロシア連邦企業家評議会評議員
所属政党 統一ロシア
配偶者 リュドミラ・イワノヴナ・シュティロワ

在任期間 2002年1月27日 - 2010年5月31日

連邦院議員
(サハ共和国選出)
在任期間 2010年6月23日 - 2018年9月28日
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ヴャチェスラフ・アナトリエヴィチ・シュティロフロシア語: Вячеслав Анатольевич Штыров、ラテン文字表記の例:Vyacheslav Anatol'evich Shtyrov1953年5月23日 - )は、ロシア政治家、企業家。サハ共和国第2代大統領や、同共和国選出連邦院(連邦上院)議員を歴任した。ハンドゥイガ出身。

1975年極東高等理工科学校(現在の極東工科大学)を卒業する。建設コンビナート支配人や海外との合弁企業社長などを経て、1997年から2002年までサハ共和国議会議員。この間、2000年にはロシア連邦企業家評議会評議員にも選出された。

2002年1月13日大統領選挙第2回投票で、52.25パーセントを獲得して大統領に当選した。同年1月27日に正式就任。2007年5月与党統一ロシアに入党している。2010年5月31日に退任。同年、連邦院議員に選出され、副議長も務めたのち2018年に退任した[1]

2004年平成16年)5月23日から29日に来日している。

リュドミラ・イワノヴナ夫人との間に二女。

脚注

  1. ^ ALROSA”. Rough-Polished.com. 2011年9月14日閲覧。

外部リンク

公職
先代
ミハイル・ニコラエフ
サハ共和国大統領
第2代:2002年 - 2010年
次代
エゴール・ボリソフ




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