ヴャチェスラフ・スタルシノフとは? わかりやすく解説

ヴャチェスラフ・スタルシノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/10 08:38 UTC 版)

獲得メダル

2011年
男子アイスホッケー
ソビエト連邦
オリンピック
1964
1968

ヴャチェスラフ・スタルシノフ英語: Vyacheslav STARSHINOV, ロシア語: ВЯЧЕСЛАВ СТАРШИНОВ, 1940年5月6日- )は、ソビエト連邦アイスホッケー選手。

経歴

モスクワで生まれ、1957年にHCスパルタク・モスクワに加入して、1972年に現役を一度引退した。この間ソビエト選手権で1967年に47ゴール、1968年に46ゴールをあげて得点王となり、チームも1962年、1967年、1969年と優勝を果たした。

現役を引退後2シーズン、スパルタク・モスクワのヘッドコーチを務めたが、1975年現役に復帰。

1975年に日本の王子製紙に入団。このことは、野球後進国で王貞治がプレーするようなものと報じられた[1]。2シーズン目の1976年には得点王、アシスト王となりベスト6にも選ばれた[2]。王子製紙では3シーズンプレーした[3]

1978年にスパルタク・モスクワに復帰した。

1979年に2度目の現役を引退した。スパルタク・モスクワでは通算540試合に出場し、405得点をあげた。

1963年にソビエト連邦アイスホッケースポーツマスター英語版となり、2007年には国際アイスホッケー連盟の殿堂入りを果たした。

代表歴

アイスホッケーソビエト連邦代表ロシア語版として13シーズンプレーし、182試合に出場。通算で149得点をあげた。アイスホッケー世界選手権での1963年から1971年までの7連覇(冬季オリンピック開催年は開催なし)、1964年のインスブルックオリンピック、1968年のグルノーブルオリンピックでの金メダルに貢献した。1972年に行われたカナダ代表とのサミット・シリーズにも1試合出場している。

ソビエト連邦が誇る偉大なセンターであり、ボリス・ミハイロフに破られるまで得点記録を持っていた。彼とエフゲニー・マヨロフ、ボリス・マヨロフで形成されるラインは有名でゴールを量産した[4]

クラブやソビエト連邦代表ではチームリーダーとしてチームメートの尊敬を受け続けた[4]

詳細情報

記録

  • ソビエトアイスホッケーリーグ最多ポイント:1968年
  • ソビエトアイスホッケーリーグ得点王:1967年、1968年
  • ソビエトアイスホッケーオールスター8回出場
  • アイスホッケー世界選手権得点王:1963年、1966年
  • アイスホッケー世界選手権ベストフォワード:1965

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『第36回日本アイスホッケーリーグ観戦ガイド』34頁 日本アイスホッケー連盟 2001年
  2. ^ 第11回試合結果”. 日本アイスホッケー連盟. 2010年8月15日閲覧。
  3. ^ #8 Vyacheslav Starshinov”. 1972summitseries.com. 2010年8月16日閲覧。
  4. ^ a b The Summit in 1972 Players Info”. 2010年8月15日閲覧。

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