ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 06:04 UTC 版)
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ Владимир Александрович |
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ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 | |
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ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ(1890年代)
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全名 | ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ |
身位 | ロシア大公 |
出生 | 1847年4月22日![]() サンクトペテルブルク |
死去 | 1909年2月17日(61歳没)![]() サンクトペテルブルク |
配偶者 | マリア・パヴロヴナ |
子女 | アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ大公 キリル・ウラジーミロヴィチ大公 ボリス・ウラジーミロヴィチ大公 アンドレイ・ウラジーミロヴィチ大公 エレナ・ウラジーミロヴナ大公女 |
父親 | アレクサンドル2世 |
母親 | マリア・アレクサンドロヴナ |
宗教 | ロシア正教会 |
ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ(ロシア語表記:Владимир Александрович, 1847年4月22日 - 1909年2月17日) は、ロシア大公。ロシア皇帝アレクサンドル2世の三男で、アレクサンドル3世の弟である。母は皇后マリア・アレクサンドロヴナ。
子女
1874年に又従妹(祖母同士が姉妹)のメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の娘マリー・アレクサンドリーネと結婚し、5人の子女をもうけた。
- アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ(1875年 - 1877年)
- キリル・ウラジーミロヴィチ(1876年 - 1938年)1922年より帝位筆頭継承者を宣言。1924年より「全ロシアの皇帝」を称し、ロマノフ家の亡命皇帝となった。
- ボリス・ウラジーミロヴィチ(1877年 - 1943年)
- アンドレイ・ウラジーミロヴィチ(1879年 - 1956年)
- エレナ・ウラジーミロヴナ(1882年 - 1957年)…ギリシア王ゲオルギオス1世の三男ニコラオスと結婚
固有名詞の分類
金羊毛騎士団員 |
アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン ペドロ・カルロス・デ・ボルボーン ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ マクシミリアン・カール・フォン・トゥルン・ウント・タクシス ニコライ2世 |
ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 |
ニコライ・コンスタンチノヴィチ キーラ・キリロヴナ ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ ロマン・ペトロヴィチ クセニア・アレクサンドロヴナ |
ロシア帝国国家評議会議員 |
アダム・イエジィ・チャルトリスキ アレクサンドル・アバザー ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ パーヴェル・キセリョフ ドミトリー・シピャーギン |
ロシア皇族 |
ニコライ・コンスタンチノヴィチ キーラ・キリロヴナ ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ ロマン・ペトロヴィチ クセニア・アレクサンドロヴナ |
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