ロシア大公女・大公妃一覧
(ロシア大公妃 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 09:44 UTC 版)
以下はロシア帝室の成員のうち、ヴェリーカヤ・クニャージナ(ロシア語: Великая Княжна)の称号を許された人物の一覧である。ヴェリーカヤ・クニャージナは基本的にはロシア皇帝の男系子孫の女子、および男系男子の配偶者に許される儀礼称号であり、妃殿下(Her Imperial Highness)の敬称と一緒に授けられた。1886年にロシア皇帝アレクサンドル3世が行ったロシア帝室の家内法に関する修正により、この称号を許されるのはロシア皇帝の娘と男系の孫娘、およびロシア大公と正式な条件の下で結婚した妻のみに制限された。ヴェリーカヤ・クニャージナは日本語では「大公女」あるいは「大公妃」に相当し、ロシア皇帝の娘ないし孫娘の場合はロシア大公女を、ロシア大公の正式の妻の場合はロシア大公妃を、それぞれ訳語に充てている。その他、英語では「Grand Duchess」と訳される場合が多いが、「Grand Princess」の方がより正確な訳語と言える。
- 1 ロシア大公女・大公妃一覧とは
- 2 ロシア大公女・大公妃一覧の概要
- 3 関連項目
ロシア大公妃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 09:41 UTC 版)
「ヴィクトリア・メリタ・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ」の記事における「ロシア大公妃」の解説
ヴィクトリアとキリルとの再婚には、多くの人が難色を示した。皇后アレクサンドラは、ヴィクトリアをあきらめないキリルを極東へ左遷するよう皇帝に迫った。キリルの両親、ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公とマリア・パヴロヴナ大公妃は、ヴィクトリアと離れられないのなら愛妾にすればよいと懇願した。結局ニコライ2世が折れ、2人は1905年10月に結婚した。しかし、皇帝はキリルから皇族の特権を剥奪し、海軍から除籍させた。2人は、それぞれの両親からの仕送りを得て、パリで新生活を始めた。1907年にはヴィクトリアは正教に改宗した。
※この「ロシア大公妃」の解説は、「ヴィクトリア・メリタ・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ」の解説の一部です。
「ロシア大公妃」を含む「ヴィクトリア・メリタ・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ」の記事については、「ヴィクトリア・メリタ・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ」の概要を参照ください。
- ロシア大公妃のページへのリンク