エカテリーナ・パヴロヴナとは? わかりやすく解説

エカテリーナ・パヴロヴナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 15:06 UTC 版)

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カタリーナ・パヴロヴナ
Katharina Pawlowna
ヴュルテンベルク王妃
カタリーナ・パヴロヴナ(1819年、Franz Seraph Stirnbrand筆)
在位 1816年10月30日 - 1819年1月9日
別称号 ロシア大公女

出生 1788年5月10日
ロシア帝国ツァールスコエ・セロー
死去 (1819-01-09) 1819年1月9日(30歳没)
ヴュルテンベルク王国シュトゥットガルト
埋葬 ヴュルテンベルク王国シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク廟
結婚 1809年8月3日
1816年1月24日 サンクトペテルブルク
配偶者 オルデンブルク公子ゲオルク
  ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世
子女 一覧参照
家名 ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家
父親 ロシア皇帝パーヴェル1世
母親 マリア・フョードロヴナ
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エカテリーナ・パヴロヴナロシア語: Екатерина Павловна, ラテン文字転写: Ekaterina Pavlovna, 1788年5月10日 - 1819年1月9日)は、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世の2度目の妻で王妃。ロシア大公女ドイツ語名ではカタリーナ・パヴロヴナKatharina Pawlowna)と呼ばれた。

生涯

ロシア皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの四女として、ツァールスコエ・セローで生まれた。兄にアレクサンドル1世コンスタンチン大公、妹にオランダ王妃アンナ・パヴロヴナ、弟にニコライ1世がいる。

1809年8月、母方の従兄に当たるオルデンブルク公子ゲオルクと結婚したが、3年後にゲオルクはチフスで急逝した。

1816年、同じく母方の従兄のヴュルテンベルク王太子ヴィルヘルム(同年に王位を継ぐ)とサンクトペテルブルクで再婚した。

エカテリーナはシュトゥットガルトで死去した。

その後、ヴィルヘルム1世は自身とエカテリーナ、ゲオルク公子の共通の従妹である同族のパウリーネを3人目の妻として次代の王カール1世らをもうけるが、カールの王妃オリガ・ニコラエヴナはニコライ1世の皇女でエカテリーナの姪にあたる。

子女

最初の夫オルデンブルク公子ゲオルクとの間には2男をもうけた。

  • アレクサンドル(1810年 - 1829年)
  • ピョートル(1812年 - 1881年)

2番目の夫ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世との間には2女をもうけた。

エカテリーナ・パヴロヴナ

1788年5月10日 - 1819年1月9日

ドイツの君主
先代:
シャルロッテ・オーガスタ・マティルダ
ヴュルテンベルク王妃
1816年10月30日 – 1819年1月9日
次代:
パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルク




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