「アレクサンドラ」と19世紀後半のロマノフ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 06:41 UTC 版)
「アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ」の記事における「「アレクサンドラ」と19世紀後半のロマノフ家」の解説
ロマノフ家では19世紀後半、アレクサンドラと名付けた女の子は子供時代か十代のうちに死ぬと考えられるようになったと言われる。アレクサンドラという洗礼名の皇后や大公妃の産んだ娘はいたが、彼女たちはなぜか母親に因むアレクサンドラの名前を与えられなかった。これは、アレクサンドラという名前の母親から生まれていても、その名前を娘が受け継ぐのは不吉だという考えがロシア皇族たちにあったためと思われる。アレクサンドラ・パヴロヴナ、アレクサンドラ・ニコラエヴナ、アレクサンドラ・ゲオルギエヴナといった皇族女性たちも、いずれも20歳になるかならないかで、非常に若くして亡くなっている。 表 話 編 歴 ロシア大公女第1世代アンナ・ペトロヴナ エリザヴェータ マリア・ペトロヴナ マルガリータ・ペトロヴナ ナターリア・ペトロヴナ(英語版) アンナ 第2世代ナターリア・アレクセエヴナ(英語版) 第3世代アンナ・ペトロヴナ 第4世代アレクサンドラ・パヴロヴナ エレナ・パヴロヴナ マリア・パヴロヴナ エカテリーナ・パヴロヴナ オリガ・パヴロヴナ アンナ・パヴロヴナ 第5世代マリヤ・アレクサンドロヴナ マリア・ニコラエヴナ オリガ・ニコラエヴナ アレクサンドラ・ニコラエヴナ マリヤ・ミハイロヴナ エリザヴェータ・ミハイロヴナ エカチェリーナ・ミハイロヴナ アレクサンドラ・ミハイロヴィナ アンナ・ミハイロヴナ 第6世代アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ マリア・アレクサンドロヴナ オルガ ヴェラ・コンスタンチノヴナ アナスタシア・ミハイロヴナ 第7世代クセニア・アレクサンドロヴナ オリガ・アレクサンドロヴナ エレナ・ウラジーミロヴナ マリア・パヴロヴナ(英語版) 第8世代オリガ・ニコラエヴナ タチアナ・ニコラエヴナ マリア・ニコラエヴナ アナスタシア・ニコラエヴナ マリヤ・キリロヴナ1 キーラ・キリロヴナ1 第9世代マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ2 1キリル・ウラジーミロヴィチによって認定された。 2ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフによって認定された。
※この「「アレクサンドラ」と19世紀後半のロマノフ家」の解説は、「アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ」の解説の一部です。
「「アレクサンドラ」と19世紀後半のロマノフ家」を含む「アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ」の記事については、「アレクサンドラ・アレクサンドロヴナ」の概要を参照ください。
- 「アレクサンドラ」と19世紀後半のロマノフ家のページへのリンク