マリア・ゲオルギエヴナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 01:16 UTC 版)
マリア・ゲオルギエヴナ Мария Георгиевна |
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グリクシンブルグ家 | |
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称号 | ロシア大公妃 |
出生 | 1876年3月3日![]() |
死去 | 1940年12月14日(64歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | ロシア大公ゲオルギー・ミハイロヴィチ |
ペリクレス・イオアンニディス | |
子女 | ニーナ クセニヤ |
父親 | ギリシャ王ゲオルギオス1世 |
母親 | オルガ・コンスタンチノヴナ |
マリア・ゲオルギエヴナ (ロシア語: Мария Георгиевна、ギリシア語: Μαρία της Ελλάδας、1876年3月3日 - 1940年12月14日)は、ロシアの皇族、ロシア大公妃。ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公(ニコライ1世の孫)の妻。
生涯
ギリシャ王ゲオルギオス1世とその王妃オルガの次女として、アテネで生まれた。
名前は叔母(父の妹)であるロシア皇后マリアにちなんで名付けられ、ミニー(Minnie)の愛称で知られた彼女と区別するために「ギリシャのミニー」と呼ばれた。
1900年、ケルキラ島で母の従弟ゲオルギーと結婚した。当初からゲオルギーとの結婚に乗り気でなかったマリアは、子供たちが成長するにつれ、夫をロシアに残し、健康のためと称して国外で過ごすようになった。第一次世界大戦中はイギリスに滞在し、ロシアへ戻らなかった。
1919年、ゲオルギーがボリシェヴィキに殺害され、マリアは未亡人となった。3年後の1922年、ヴィースバーデンで、ギリシャ人提督ペリクレス・イオアンニディスと再婚した。ギリシャ・イタリア戦争の最中である1940年、アテネで没した。
子女
固有名詞の分類
グリュックスブルク家ギリシャ系 |
アキレアス=アンドレアス アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ マリア・ゲオルギエヴナ エリサヴェト・ティス・エラザス イレーネ・ディ・グレチア |
ギリシャ王族 |
アレクサンドラ・ゲオルギエヴナ アスパシア・マノス マリア・ゲオルギエヴナ エリサヴェト・ティス・エラザス イレーネ・ディ・グレチア |
ロシア皇族の妃 |
オリガ・フョードロヴナ ユリアーネ・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト マリア・ゲオルギエヴナ ミリツァ・ニコラエヴナ ナターリア・アレクセーエヴナ |
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