ウラジーミル・アレクセーヴィチ・イワノフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 10:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ウラジーミル・アレクセーヴィチ・イワノフ(ロシア語: Владимир Алексеевич Иванов; 1886年 - 1970年) は、ロシアの東洋学者。イスマーイール派研究の先駆者である[1]。
生涯
ウラジーミル・アレクセーヴィチ・イワノフは、帝政ロシア時代の1886年11月3日にペテルブルクで生まれた[1]。父親は軍医であった[1]。少年時代をペテルブルクとモスクワで過ごした[1]。1907年にペテルブルクにある高校を首席で卒業した[1]。1907年から1911年までペテルブルク東洋学研究所(Восточный факультет Санкт-Петербургского государственного университета)で学んだ。アラビア語を学んだ後、イワノフは、最終的にイラン諸語を専攻することにした。1910年に初めてイランを訪れた。旅の目的はペルシアに関する知識を完全なものにしたいという考えからだった。
大学での勉強を終えた1914年にイワノフは、あるロシアの銀行がイランに保有している子会社に就職した。イワノフはこのイラン滞在期間中にホラーサーン地方などを物見遊山した。この期間に見聞した事物について彼は1920年に記事に書き表した。1914年にイワノフは銀行を退職してペテルブルクに戻り、帝国アカデミーのアジア博物館に就職した。1915年に手写本を集めるため、ブハーラーへ派遣された。この時からイワノフは手写本への強い情熱を持つようになり、これらを通してイスマーイール派思想への関心を深めていった。
1918年にペテルブルクの博物館の中央アジアの写本コレクションを増やすため、再びブハーラーへ派遣された。この任務は短期間で終了してしまった。ボルシェビキ革命が始まってしまったからである。イワノフはロシアへ帰れなくなった。そこで彼はイランに住むことにした。イワノフは1920年まで英印軍の士官の通訳として働いた。1920年にイワノフは英印軍に従ってインドへ行き、1928年までインドで暮らした。1922年にイワノフはイスマーイール派に関する著作を初めて執筆し、アジア協会のジャーナルに載せた。アジア協会の総裁がイワノフにペルシア語写本収集の任務を与え、イワノフは1928年にイランへ行った。この時彼は初めてアラムート山など、イスマーイール派関連の遺跡を訪ねて回った。
1930年にボンベイ(ムンバイ)の大学に職を得たため、イワノフはアジア協会との共同作業をやめ、大学で研究に没頭することが可能になった。また、大学ではホージャ派の人々と出会い、彼らを通じてモハンマド・シャー・アーガーハーン3世と知り合った。アーガーハーンはイワノフを雇い、彼にイスマーイール派の歴史と文献を研究させた。これによりイワノフは、インド、アフガニスタン、イランに私蔵されているイスマーイール派文献にアクセスすることができるようになった。イワノフはまた、ブハーラー派諸派(ムスタアリー派の分派。当該分派内でさらにいくつもの分派がある。ムスタアリー派はファーティマ朝系イスマーイール派の一分派。) に結びつき、彼らから、ファーティマ朝期に書かれたアラビア語写本の提供を受けた。1933年にイワノフは、ボンベイにてイスラーム研究協会(Islamic Research Association)の設立に携わった。1937年にイワノフは、アンジェダーン(アンジュダーン)とカラクに、複数のニザール派イマームの墓を発見した。ただし、アーガーハーンは、これらの墓の存在をイワノフの発見の前から知っていたようである[2]。1946年にはイワノフの長年の仕事が実を結び、ボンベイにイスマーイール派協会(Ismaili Society of Bombay)が設立された。
1960年にイワノフは、アラムート派について徹底的に研究したモノグラフを出版した。このモノグラフは、1928年から1937年まで実施されたアラムート山の考古学的発掘調査の結果と、手写本調査とに基づいた研究である。1959年にイワノフはテヘラーンに移り住み、そこが彼の終生の場所となった。イワノフ没後の1970年に、ボンベイのイスマーイール派協会所有の手写本群がロンドンのイスマーイール派研究機関に移転された。
かつてアラムート期のニザール派に関する情報は、十字軍がもたらした伝説と、マルコ・ポーロが語った幻想的な物語しかなかった。かつてニザール派はこれらの情報のみに基づいて理解されていたが、この状況が一変したのはイワノフの功績による。ニザール派が、単純に、いわゆる「山の老人」により麻薬を飲ませられて酩酊させられた暗殺者集団だと思われるようなことも、もはやなくなった。
著作
翻訳
- (en) Khayr Khwâh-i Harâtî, Kalâm-i Pîr, éd. et traduit par Vladimir Ivanov, Bombay, A.A.A. Fyzee Esq. Islamic Research Association, 1935.
- Khayr-Khwâh-i Harâtî, Fasl dar bayân shinâkht-i Imâm wa Hujja, éd. et traduit par V. Ivanow dans « Ismailitica », Memoirs of the Asiatic Society of Bengal no 8.1, 1922, p. 13-45.
- Haft-bâbi bâbâ sayyid-nâ, édité et commenté par V. Ivanov dans Two Early Ismaili Treatise, Bombay, Islamic Research Association, 1933
- (en) Nâsir-i Khusraw (1004-1088), Shish Fasl, traduit et édité par V. Ivanov dans Six Chapters or Shish Fasl also called Rawsharra'i-nama, Leyde, E.J. Brill, 1949. (Lire en ligne [archive] - Consulté le 4 octobre 2020)
- Mustansir bi Allâh II (Imâm), Pandiyât-i Jawân-mardî, traduit par V. Ivanov, Leyde, E.J. Brill, 1953.
- Abû Ishâq-i Quhistânî, Haft Bâb, traduit par Wladimir Ivanow, Bombay, 1959.
- Shihâb al-dîn Shâh, Risâlat dar haqîqat-i dîn (True Meaning of Religion), traduit par W. Ivanov, Afrique, Association ismaélienne d'Afrique, 1966.
モノグラフ
- Studies in Early Persian Ismailism, 2nd Ed., Bombay, 1955 (Londres, Longman, 1981).
- Ismaili Tradition concerning the Rise of the Fatimids, Londres, Oxford University Press, 1942.
- The alleged Founder of Ismailism, Bombay, 1946.
- Brief Survey of the Evolution of Ismailism, Leyde, E.J. Brill, 1952.
- Alamut and Lamasar : Two Medieval Ismaili Strongholds in Iran, Téhéran, Ismaili Society, 1963.
- Ismaili Literature : A Bibliographical Survey, Téhéran, 1963.
論文
- « Ismailitica », traduit par V. Ivanov, Memoirs of the Asiatic Society of Bengal no 8.1, 1922, p. 1-76.
- « Noms Bibliques dans la mythologie ismaélienne », Journal asiatique no 237, 1940, p. 249-255.
- « Notes sur l'“Ummu'l-Kitâb” des ismaéliens de l'Asie centrale », Revue des Études Islamiques no 6, 1932, p. 419-481.
- « Some Ismaili Strongholds in Persia », Islamic Culture no 12, 1938, p. 383-396.
- « Tombs of some Persian Ismaili Imams », Journal of Bombay Branch of Royal Asiatic Society no 14, 1938, p. 63-72.
- « Ummu'l-Kitâb », Der Islam no 23, 1936, p. 1-132.
関連文献等一覧
- Wladimir Ivanow. “The Importance of Studying Ismailism”. 2020年12月11日閲覧。
- Wladimir Ivanow (1940). The Gabri Dialect Spoken by the Zoroastrians of Persia (G. Bardi ed.). pp. 164
- Wladimir Ivanow (1942). Ismaili tradition concerning the rise of the Fatimids. Londres
- Wladimir Ivanow (1947). On the Recognition of the Imam: Or Fasl Dar Bayan-i Shinakht-i Imam (Thacker pour l’Ismaili Society ed.). pp. 59
- Wladimir Ivanow (1948). Nāṣir-i Khusraw and Ismailism (Thacker ed.). pp. 78
- Naṣīr al-Dīn Muḥammad ibn Muḥammad Ṭūsī (1950). The Rawdatuʼt-Taslim: Commonly Called Tasawwurat (E.J. Brill pour l’Ismaili Society ed.). pp. 249
- Wladimir Ivanow, M. Hidayat Hosain, M. Mahfuz-ul-Haq, M. Ishaque (1951). Catalogue of the Arabic Manuscripts in the Collection of the Asiatic Society of Bengal (Asiatic Society ed.). pp. 694
- Wladimir Ivanow (1955). Studies in early Pesian Ismailism
- Wladimir Ivanow (1956). Problems in Nasir-i Khusraw's Biography (Ismaili Society ed.). pp. 88
- al-Husaini Shihab al-Din Shah (Šahāb al-Dīn Ḥusaynī) (1956). True Meaning of Religion; Or, Risala Dar Haqiqat-i Din : Risala Dar Haqiqat-i Din (Ismaili Society ed.). pp. 2
- Wladimir Ivanow (1960). Alamut and Lamasar: Two Mediaeval Ismaili Strongholds in Iran, an Archaeological Study (Ismaili Society ed.). pp. 105
- Henry Corbin, Wladimir Ivanow (1999). Correspondance Corbin-Ivanow Lettres échangées entre Henry Corbin et Vladimir Ivanow de 1947 à 1966 éditeur=Institut d'études iraniennes. ISBN 9789042907393
出典
- ^ a b c d e Daftary, Farhad (December 15, 2007). “IVANOW, VLADIMIR ALEKSEEVICH”. Encyclopaedia Iranica. XIV. pp. 298-300 .
- ^ (英語) D'après Ibrahim Dighan cité parShafique N. Virani (2007). The Ismailis in the Middle Ages: A History of Survival, a Search for Salvation (Oxford University Press US ed.). pp. 301. ISBN 9780195311730
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