帝光学園高校(東京都)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:15 UTC 版)
「シュート!」の記事における「帝光学園高校(東京都)」の解説
高校サッカー界最強と謳われる。相手と同じ戦術を使用し、個々の能力で圧倒する伝統的な戦術は「悪魔の鏡(デモンズミラー)」と呼ばれ、恐れられている。 岩上順司(いわがみ じゅんじ) 声 : 中村大樹 学年 : +2 ポジション : ミッドフィールダー→ディフェンダー 背番号 : 10 1973年6月19日生まれ。身長180cm、体重69kg。血液型はA型。帝光学園のキャプテンで、センチメートル単位のコース(作中ではゴールポスト右隅から5cm内側を狙うも、狙いすぎて健二がはじいたボールがポストに当たってしまった際には、その更に内側5cmを狙って確実に決めると口にし、延長戦では内側50cmを狙った)でシュートを狙うなどの超高校級のプレイから「キング」の異名を持つ。真面目な性格で考え方も堅いが、稀に周囲を和ませるほどのボケをかます。ユース編以降は斉木と一緒にいる描写が多い。プロ入り後にディフェンダーに転身。2010年W杯の時点では横浜マリノスに所属。 2014年ブラジルW杯を描いた読み切りでは、A代表キャプテンとなっている。 恩田朝之(おんだ ともゆき) 学年 : 0 ポジション : フォワード、ミッドフィールダー→ディフェンダー 背番号 : 6→10 1975年12月4日生まれ。身長168cm、体重66kg。血液型はA型。2つの回転軸で急激な変化を生み出す「黄金の左」を有し、田仲の「幻の左」に匹敵するといわれる左のパワーシューター。帝光サッカー部において数少ない1年生で1軍選手で、「関東のマラドーナ」という異名を持つ。2年時はキャプテンで10番をつけ、ゲームメイクも修得している。家庭が裕福ではなかったために、医者の息子でサッカーの才能を持つ和広に嫉妬して道楽でサッカーをしていると決めつけ、対掛川戦では執拗に和広をマークしていた。2010年W杯の時点ではバイエルン・ミュンヘンに所属。 2014年ブラジルW杯を描いた読み切りでは、サイドバックに転身している。 草薙京悟(くさなぎ きょうご) 学年 : +2 ポジション : ゴールキーパー 背番号 : 15 190cmの長身としなやかな筋肉を活かした独特のセービング方法から「パンテーラ(豹)」の異名を持ち、全国No.1ゴールキーパーと称される。高校の試合ではPK戦以外無失点という記録を作っている。その実力は、留学先のACミランジュニオレスでも認められている。冬の選手権では決勝のためだけに帰国したが、初登場時は金を持たずにタクシーに乗ってしまったためにタクシーの運転手と揉めていた(最終的には岩上が支払って事なきを得た)。イタリアにいた頃はルディやヴィリーと戦ったことがあるらしく、対バイエルン戦ではヴィリーのフィニッシュシュートを完璧に止めていたものの、対フランクフルト戦ではルディの攻撃に反応できずに失点してしまっていた。ユース代表候補にも選出されていたが、「忙しい」の一言で辞退し、代わりに健二が入った。2010年W杯の時点ではASローマに所属。 榊勝年(さかき かつとし) 学年 : +2 ポジション : ディフェンダー 背番号 : 8 1973年5月21日生まれ。身長169cm、体重65kg。血液型はB型。確実な守備能力と、オーバーラップによる攻撃能力を併せ持つ。加納隆次と並んでユース代表の「老け顔コンビ」と呼ばれることも。 木ノ内(きのうち) 学年 : 0 ポジション : ディフェンダー、フォワード 背番号 : 16→12 選手権決勝、対掛川・平松のマンツーマンディフェンス専用として投入されたディフェンダー。平松にも負けない俊足の持ち主で、元々は陸上部への推薦入学であったが、岩上に憧れてサッカー部に入部している。当初はリフティングすらままならない状態だったが、岩上のアドバイスにより1対1で完璧に相手を封じるでマーキングの技術を身につけている。インターハイではフォワードのレギュラーとなっている。 藤田清伸(ふじた きよのぶ) 学年 : -1 ポジション : フォワード 背番号 : 13 中学時代はジュニアユースの代表に選ばれていた優秀なプレイヤー。プライドが非常に高く、年長者に対する無礼な物言いも見られる。 的場 声:矢田耕司 監督。帝光サッカー部の監督を20年も務めている。ミスした選手は、すぐに退場させつつも、その意味を説明する為、単なる厳格さによるものではない。
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