ナスル朝の建国とその生存戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 17:59 UTC 版)
「レコンキスタ」の記事における「ナスル朝の建国とその生存戦略」の解説
1230年頃、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスルがアルホーナで蜂起し、ナスル朝を建国した。ナスル朝は1235年にグラナダを攻略し、1238年に遷都した。このためグラナダ王国とも言う。グラナダはシエラネバダ山脈の天険を最大の防御としており、キリスト教勢力も容易にこれを突破することはできなかった。 彼らの生存戦略は巧妙な外交によるもので、常に最適な同盟(あるいは臣従)の相手を選択した。1246年からのセビリア攻囲に、ナスル朝はカスティーリャの指揮下で参加した。1264年、カスティーリャの圧力が強まると、北アフリカのマリーン朝を引き込んでこれに対抗させた。こうした巧みな立ち回りと地理的優勢によって、ナスル朝はイベリアにおける最後のムスリム勢力として1492年まで存続した。 グラナダには、キリスト教徒に追われた多くのムスリムやユダヤ人が移り住み、彼らの貢献によって経済的にも文化的にも繁栄した。イベリア・イスラーム建築の精華ともいえる世界遺産のアルハンブラ宮殿は、ナスル朝の統治下でおおむね現在の形となった。
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