ナスレッディン・ホジャの物語とは? わかりやすく解説

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ナスレッディン・ホジャの物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 00:17 UTC 版)

ナスレッディン・ホジャ」の記事における「ナスレッディン・ホジャの物語」の解説

ナスレッディン・ホジャの物語が初め文字化されたのは、15世紀後半だと考えられている。物語のあらすじ基本的に単調で、最後に落ちがつく形式とっている。ティムールなどとのやり取り述べた一部の話を除き日常生活題材とする小話が多い。10世紀末にアラブ人の間で流行したジュハ物語など様々な逸話ホジャ物語大元になっており、それらの物語形式内容変え、あるいはほぼそのままホジャ逸話として語り継がれていると考えられている。その様々な逸話寄せ集めという性質上、物語現れるホジャ賢明愚鈍狡猾・勇敢・臆病な異な性格併せ持つキャラクターとなっている。 コーカサスバルカン半島中央アジアなど、ナスレッディン・ホジャの物語はアナトリア半島外のオスマン帝国の支配地域テュルクトルコ)系民族居住地域語り継がれている。トルコ人だけでなくイランアフガニスタン人間北ヨーロッパフィン人にもホジャ物語伝わっている。西ヨーロッパには18世紀ごろに紹介され19世紀入ってナスレッディン・ホジャに関する研究盛んになった。中国では阿凡提という名前で知られ、「機知人物頓知話知恵話の主人公)」の代名詞にもなっている。アラブ世界では「ルームアナトリア半島)のジュハー」「トルコのジュハー」、イランでは「モッラー・ナスロッディーン」の名前で知られている。カザフ語ではコジャナスル(Қожанасыр)、ウズベク語ではナスレッディン・アファンディ(Nasriddin afandi)、ウイグル語ではナスレディン・エペンディ(نەسىرىدىن ئەپەندى Nesiridin Ependi)、アゼルバイジャン語ではモッラー・ナスレッディン(Molla Nəsrəddin)と呼ばれている。アゼルバイジャン風刺誌の『モッラー・ナスレッディン(英語版)』の誌名は、ホジャの名前に由来する。 名前の「ナスレッディン」はアラビア語勝利者意味する「ナスル・ウッ・ディーン」、「ホジャ」はペルシア語尊称であるハージュ(ホージャ)に由来する。エフェンディ(アファンディ、エペンディ)はトルコ語敬称で 、「モッラー」はイスラーム知識人対す尊称である。

※この「ナスレッディン・ホジャの物語」の解説は、「ナスレッディン・ホジャ」の解説の一部です。
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