丹波立杭焼
丹波立杭焼 |
たんばたちくいやき |
陶磁器 |
食器、酒器、茶器、花器、置物、植木鉢 |
日本六古窯のひとつに数えられ、その始まりは平安時代末期と言われています。桃山時代までは穴窯が使用されていましたが、その後、現在使われている登り窯に変わり、同時期に取り入れられた「蹴(け)ろくろ(この産地独特の左回転ろくろ)」とともに、伝統技術を今日に受け継いでいます。当初は壷やかめが主製品でしたが、江戸時代に小堀遠州らの指導により、茶器類に多くの名器を生み出すようになりました。 |
兵庫県 |
昭和53年2月6日 |
灰釉(かいゆう)や鉄釉(てつゆう)等による、飾り気のない野趣味たっぷりな暮らしの器を作り続けています。登り窯で焼く作品では、焼いている時に燃料の松薪の燃えた灰がふりかかり、釉薬(ゆうやく)と溶け合って窯変(ようへん)し、「灰被り(はいかぶり)」と呼ばれる独特の色や模様が現われます。この現われ方は一つ一つ違います。 |
丹波立杭焼
丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市今田地区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 15:08 UTC 版)
「登り窯」の記事における「丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市今田地区)」の解説
日本六古窯のひとつであり、約400年にわたって窖窯時代が続いた後、桃山時代末期に至り自然の地形を利用した登り窯が築かれ、現在も約60軒の窯元が残る。
※この「丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市今田地区)」の解説は、「登り窯」の解説の一部です。
「丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市今田地区)」を含む「登り窯」の記事については、「登り窯」の概要を参照ください。
丹波立杭焼と同じ種類の言葉
- 丹波立杭焼のページへのリンク