しょうだい‐やき〔セウダイ‐〕【小代焼】
小代焼
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小代焼 |
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しょうだいやき |
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陶磁器 |
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寛永9年(1632年)細川忠利が豊前国から肥後国に転封となり、これに従った陶工源七(牝小路家初代)と八左衛門(葛城家初代)が焼物師を命じられ、小代焼を始めたといわれています。その後天保7年(1836年)山奉行の瀬上林右衛門が藩の指令を受け、産業振興策のため瀬上窯を築き、小代焼の技法が受け継がれ、さらに野田家、近重家へと継承されて今日に至っています。 |
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熊本県 |
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平成15年3月17日 |
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小代焼は、鉄分の多い小代粘土を使った素朴で力強い作風が特徴です。釉薬の調合割合、焼成温度の変化等により、青小代、黄小代、白小代、といわれる微妙な発色技法が使い分けられ、釉薬の深い美しさと自由奔放な流し掛けの模様は、器形と調和して素朴な中にもダイナミックな味わいがあります。 |
小代焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 20:58 UTC 版)
小代焼(しょうだいやき)は熊本県荒尾市、南関町、熊本市など県北部で焼かれる陶器。小岱焼とも表記し、いずれも正しい[要出典]。寛永9年(1632年)に豊前から転封された細川忠利が陶工の牝小路家初代源七、葛城家初代八左衛門を従え、藩主の命によって焼き物を焼かせたのが始まりとされる[1]。
釉薬の深い色合いと「流し掛け」と呼ばれる伝統技法による躍動感あふれる文様が特徴である[2]。「腐敗しない」「生臭さが移らない」「湿気を呼ばない」「毒を消す」「延命長寿が得られる」の五徳があるとして、五徳焼とも呼ばれた[1][3]。
明治維新後は有田や瀬戸といった磁器産地に押され衰退してしまったが、昭和になって近重治太郎、城島平次郎らの努力によって復興を遂げ、戦後は小岱山麓にいくつもの窯が築かれるようになる。[要出典]
2003年(平成15年)3月17日、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された[3][4]。
脚注
- ^ a b “日本のやきもの/小代焼”. www.ceramic.or.jp. 日本セラミック協会. 2022年3月19日閲覧。
- ^ “小代焼 | 動画で見るニッポンみちしる | NHKアーカイブス”. 動画で見るニッポンみちしる~新日本風土記アーカイブス~. 2022年3月19日閲覧。
- ^ a b “国の伝統工芸品「小代焼」”. 荒尾市. 荒尾市. 2022年3月19日閲覧。
- ^ “小代焼”. 伝統工芸 青山スクエア. 一般財団法人 伝統的工芸品産業振興協会. 2023年1月30日閲覧。
外部リンク
- 小代焼 - 熊本県伝統工芸館 - ウェイバックマシン(2013年6月15日アーカイブ分)
- たけみや窯(旧健軍窯)
- 太郎窯
- 末安窯 - ウェイバックマシン(2001年3月8日アーカイブ分)
- ちひろ窯
- 小代焼中平窯
小代焼と同じ種類の言葉
- 小代焼のページへのリンク