志戸呂焼とは? わかりやすく解説

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しとろ‐やき【志戸呂焼】

読み方:しとろやき

遠江(とおとうみ)国志戸呂から産した瀬戸焼ふうの陶器寛永年間(1624〜1644)小堀遠州意匠導入遠州七窯(えんしゅうなながま)の一。


志戸呂焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 03:15 UTC 版)

チェルヌスキ美術館蔵

志戸呂焼(しとろやき)は、静岡県島田市金谷(旧金谷町)で焼かれる陶器

歴史は室町時代に遡るとされるが[1]大永年間成立説や瀬戸陶工成立説、慶長年間成立説など様々な説がある[1]。ただし、いずれの説も古窯跡の実態と合致しないため定説はない[1]。志戸呂焼の名前は、西金谷の宿一帯が志戸呂郷と呼ばれたことに由来する[1]

志戸呂焼は大きく3期に分けられる[1]。第1期は15世紀後半で鉄釉や灰釉による天目茶碗や水注などが作られ[1]、第2期は16世紀後半で筒茶碗、徳利、香炉、小皿などが作られ[1]、第3期は17世紀前半から明治時代までで、黒釉を用いた壺、甕、碗、皿などが作られた[1]徳川家康から朱印状が授けられ[2]、特産品として奨励されるなど、着実に成長していった。なかでも志戸呂焼の名が世に轟くようになったのは、小堀政一(遠州)が目を付け、遠州七窯の一つに数えられるようになってからである[1][2]

志戸呂焼は、褐色または黒釉を使った素朴な釉調が特徴である[1]。また、鉄分が多くて堅く焼けるため、茶壺に最適とされる[1][2]。現代でも抹茶や煎茶用の茶器が作られる[1]。名器と呼ばれる壺の裏には「祖母懐」や「姥懐」の刻銘がある[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 志戸呂焼”. www.shizuoka-kougei.jp. 静岡郷土工芸品振興会. 2022年3月19日閲覧。
  2. ^ a b c 伝統の志戸呂焼、孫が継承 島田の宇井さん、発展へ決意の一歩 名工白幡さんが昨年死去”. www.at-s.com. 静岡新聞社. 2022年3月19日閲覧。
  3. ^ お茶街道:名物好物[志戸呂焼]”. www.ochakaido.com. カワサキ機工株式会社. 2022年3月19日閲覧。

関連項目

  • 森山焼 - 志戸呂焼の流れを汲む陶器

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