志戸田用水隧道とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 志戸田用水隧道の意味・解説 

志戸田用水隧道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 20:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

志戸田用水隧道(しとだようすいずいどう)は、宮城県富谷市志戸田にあった農業用水隧道(トンネル)[1]で、主に富谷市志戸田地区[2]大和町舞野地区[3]に水を供給していた。現在は使われていない。

志戸田用水隧道3号出口

隧道の構造

志戸田用水隧道

全長約2750mの用水路のうち、合計約600mの3つの隧道があり各々、縦横120cmほどの四角い構造となっている。隧道内部の地肌はむき出しとなっているものの、水によって浸食されることが少なくなるよう、又、浮遊物が隧道内に滞って詰まり、水の流れの妨げとなることがないような工夫が随所になされていて、長年の使用に耐えうる構造となっていた。

  • 1号隧道 約120m
  • 2号隧道 約130m
  • 3号隧道地図 約350m

沿革

  • 1736年享保21年)仙台藩志戸田村(現:富谷市志戸田)など[4]肝入だった、千坂半左衛門の主導で吉田川の綱木堰から[5]志戸田村や舞野村の水田水不足解消の為に千坂家個人の私財を投入し、用水堀の掘削に着手した。地盤の弱い個所の水路は度々の吉田川の氾濫で、堀自体が土砂で埋まったり、川自体の浸食作用で削られるなどして使用に耐えなくなる為に、全工程、約2750mのところ、3箇所に於いては、隧道を掘って、川の氾濫時にも耐えうる構造とせざるをえなかった。工事困難を極め、千坂半左衛門の子、孫が工事を引き継いだ。
  • 1786年天明6年)頃 およそ50年の歳月をかけ完成し、通水が開始された。
  • 1987年昭和63年) 新しいコンクリート製の新用水路に置き換えられ、当時の用水路は使用を終え埋め立てられ、トンネル(隧道)は閉鎖された。閉鎖後は一部を地元、富谷市が管理している[6]

参考文献

周辺の歴史的建造物など

アクセス

脚注

  1. ^ 富谷町. “富谷町 富谷集遊 志戸田隧道”. 2015年3月9日閲覧。
  2. ^ 志戸田の区域図”. 2015年3月9日閲覧。
  3. ^ 舞野の区域図”. 2015年3月9日閲覧。
  4. ^ 志戸田村(現:富谷市)、高田村・舞野村・蒜袋村(現:大和町)4ヶ村の肝入だった。
  5. ^ 汲み上げポンプなどない時代だったので、水田よりも常時水面が高い個所から取水する必要があった。
  6. ^ 2号隧道、3号隧道の出入口などが残っており、その全てが内部に入れないわけではない。

外部リンク


座標: 北緯38度25分47.04秒 東経140度53分18.68秒 / 北緯38.4297333度 東経140.8885222度 / 38.4297333; 140.8885222




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「志戸田用水隧道」の関連用語

志戸田用水隧道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



志戸田用水隧道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの志戸田用水隧道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS